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思い出の庄野潤三 [エッセイ]



遥かな昔、遠い所で 第85回

二夜続けて馥郁と香る月下美人の花が咲きました。庄野潤三の小説を知ったのは、私が結婚して横浜の弘明寺の裏駅のやまのうえの墓地の傍のアパートに住むようになってからのことでした。

その頃、弘明寺の裏駅のすぐ傍にはどういうわけかもう使われなくなってしまった小さなプールがありました。
私はアパートに通じる急な坂道を息急き切って登り切ってそのプールを見下ろすたびに、彼の「プールサイド小景」を思い出し、たくさんの枯れ葉が浮いたその黒い水面に私と同じようなダークスーツを着たサラリーマンが漂っていないかとおそるおそる確かめたものでした。

アパートの窓を開けるとお墓の向こうには草原と遠い丘陵と青い空と白い雲が望まれ、時々電車が走っていく姿が見えました。生まれたばかりの長男は先天的な障碍があるとも知らず、家の前の坂道をよだれを垂らしながら這い這いしていました。

庄野潤三が小田急線の生田の谷の上に住んでいることは、学生時代の友人のK君の家に遊びに行ったときに教えてくれました。彼の実家はそのすぐ近所にあったからです。
私は当時まだ田舎で田んぼや藁ぶきの農家や栗の木が目立つその近辺を散歩しながら、この小説家の「夕べの雲」の素晴らしいラストシーンを思い浮かべたり、もしかしてあの小道の曲がり角から作家その人が突然大柄な図体を現すのではないかという気がして待ち構えたりしたものですが、もちろんそんなことはなかったのです。

「夕べの雲」もいいけど、そのあとの作品もいいぞ、と教えてくれたのは、やはり同級生だったS君でした。
それ以来私は毎年のように出版される彼の一連の家族小説を折に触れて読んできました。たとえば「貝がらと海の音」などの小説というよりも日記のような連作がそれですが、どれをとってもまるで金太郎飴のように老夫婦の日常と子供や孫の動静、生田の家をめぐる季節と風物が淡々と歳時記のように記されています。

そこには事件らしい事件はありませんし、プロットも、いたずらな修辞さえありません。あえていうなら、流れゆく水に描かれた物語とでもいうべきものでしょう。もはや文学や小説であることさえ放棄したような文章の連なりですが、ただそれに目をさらしていると、不思議なことに心に安息を覚え、限りある生を生きてあることの幸せというものに自然と気づかせてくれるのです。そこには今を生きている人間の確かな手触りとその人間をゆっくりと押し流していく悠久の時間の流れがあります。

私にとってこの貴重な作品の源泉が、今月二一日に突然流れることをやめたのは、ひとつの文学的事件というよりは実生活上の打撃でありました。深い喪失感と悲しみを味わいながらも、できれば私も彼のように自他のこころをうるおす文章を書きたいものだと改めて思っているところです。

♪馥郁と月下美人香る生田山伊東静雄の愛弟子逝きけり 茫洋

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