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川本三郎著「白秋望景」を読んで [読書]



照る日曇る日第514回

林芙美子に続いて著者が取り上げたのは、なんと北原白秋です。

明治大正昭和の3代にまたがって詩歌の世界で活躍したこのいぶし銀のような文学者の生涯と業績を、前著と同様に慈しむように、呼吸を共にするように、もう2度と戻らない昔を懐かしい昔をしみじみと振り返るように、書き表しています。

 廃市、柳河の自然の中ではぐくまれた伸びやかな詩魂が、若き日の名作「邪宗門」「思ひ出」を生んだのもつかの間、明治45年に引き起こした人妻との姦通罪事件による入獄、そして郷里の実家の倒産と一家逃亡は、詩人の生涯を激変させると共に、その文体と詩形をいわば「社会化」し、鍛え上げることになりました。

 詩壇の寵児として一斉風靡した若き絶頂期よりも、社会的現実との格闘や挫折を経た後の平易な童謡つくり、そしてどこか水墨画を思わせるような、晩年の内心の想いをありのままに歌いながら自由で自在な古淡の境地を高く評価する著者の主張には説得力がありますし、白秋は軟弱で思想が無いと馬鹿にする、頑なで浅墓なイデオロギー論者への反論もじゅうぶん頷けます。

脳内論理の思弁で世界を解釈したつもりの自称思想家よりも、軟弱で繊細な自然鑑賞家の直観的詩藻のほうが世界を正しく射ぬいていることが多いもの。

「からまつの林を過ぎて、からまつをしみじみと見き。」

という詩句には、長谷川等伯の「松林図屏風」の極北の人世観がたゆたっているようです。

また、白秋の「からたちの花」が素晴らしいのは、それまでからたちの白い花や青い棘、まるい金色の実についてうたってきた詩人が第5連で突然、

「からたちのそばで泣いたよ。みんなみんなやさしかったよ。」

と転じるからだ、と説く著者はこの詩句に詩人白秋の真骨頂を見ているのですが、日本文学の本質は「涙」であると断じる著者ならではの卓抜な視点だと思います。


からたちのそばで泣きたる少年が「からたちの花」を作曲したり 蝶人

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