SSブログ

健ちゃん蝶に乗る~「これでも詩かよ」第111番 [夢]

IMG_3032.JPG

ある晴れた日に第272回


まだ春だというのに、夏型の大きなヒョウモンチョウが、原っぱをゆらゆら漂っている。この品種らしからぬ緩慢な動きだ。しかも巨大なヒョウモンの翅の上に別の種類の小型のヒョウモンチョウが乗っている。

私がなんなくその2匹のヒョウモンチョウを両手でつかまえ、これはもしかして2つとも本邦初の新種ではないかと胸を躍らせていると、半ズボン姿の健君も別の個体を捕まえて、うれしそうに私に見せにきた。

それは確かにヒョウモンチョウの仲間には違いないが、いままでに見たこともない黄金色に輝いており、国蝶のオオムラサキを遥かに凌駕するほどの大きさに、興奮はいやがうえにも高まるのだった。

私たちはバタバタと翅を動かしてあばれる巨大な蝶を、懸命に両手で押さえつけていたのだが、それはみるみるうちにさらに大きな昆虫へと成長したので、もはや彼らを解放してやるほかはなかった。

しかし巨大蝶は逃げようとせず、その長い触角をゆらゆらと動かし、「さあ私のこの柔らかな胴体の上にまたがってみよ」、とでも言うように、その黒い瞳で私たち親子をじっと見詰めたので、まず半ズボン姿の健ちゃんがひらりと巨大蝶の巨大な胴体の上にまたがった。

息子に負けじと私も別の巨大蝶にまたがり、
そのずんぐりとした黒い胴体をつかんでみると、
あにはからんやそれはくろがねのような強度を持っていた。

私たちがそれぞれの大きなヒョウモンチョウに騎乗したことを確かめると、2匹の巨大な蝶はゆっくりと西本町の子供広場から離陸して狭い盆地を一周し、上空からは懐かしい故郷の街や家や寺や山、銀色の鱗に輝く由良川の流れがのぞまれた。

それから巨大な蝶は、猛烈なスピードで故郷の街を遠ざかり、
波が逆巻く海をわたり、大空の高みを力強く飛翔しながら成層圏に達し、
そこからまた猛烈なスピードで下降した。

ぐんぐん地表がちかづいたので、よく見ると、
それは教科書の写真で見たことのある万里の長城だった。気がつくと巨大蝶の姿は消え、  私たち二人だけが大空の真ん中にぽっかりうかんでいる。

私たちは思わず手と手を握り合った。
 しかし墜落はしない。
 無事に飛行は続いている。

 私たちはそのまま元来た空路をたどって故郷に帰還すると、そこには仲間の巨大蝶が勢ぞろいしていた。その後蝶たちは、住民の飛行機としての役目を半年間にわたってつとめたのちに、南に帰っていった。


 エイエイオウ!民衆の敵を打ち果たさむ12月14日は討ち入りの日 蝶人


夢は第2の人生である 第20回  [夢]

IMG_2492.JPG

西暦2014年文月蝶人酔生夢死幾百夜


J.クルーの来秋冬シーズンのメンズのパンツのシルエットが、みんなサブリナパンツにように絞られいるので、驚いてデザイナーのエミリー・ウッズに修正するように頼むのだが、彼女はどうしても妥協しないのであった。7/31

持っていた自転車の鍵を、東京駅の新幹線乗り場の改札口の機会に挿入したとたん、私は新大阪の駅に到着していた。7/30

水の上を浮遊する廃市を2日間流離っていた私は、なにも口にしていなかったので、そこで出された肉じゃが定食を、世界でいちばん美味しい料理として賛嘆しつつ、頂戴したのであった。7/28

下水配管が集まっている場所に巨大なサッカー練習場があったので、ここでボールを蹴り合っていたら、四方八方から押し寄せる人びとによって、私は王として戴冠された。7/28

素敵な小道をどんどん辿っていたら、愛らしい少女と出会ったので、私は彼女を家に連れ帰って寝た。

某重大事件の犯人を追う私は、2人の詩人の協力を得て知床半島のウトロの番屋までやってきたのだが、なんの手がかりもなかった。

政府の大号令で大舞踏会が開催され、老若男女が踊り狂ったが、それがお終わると「今後はいかなる歌舞音曲も慎むように」という命令が出されたのであった。7/26

最高級ホテルでのショーが真夜中に終わったので、私が北島君に帰ろうかと声をかけたが、「僕はもうちょっとここにいる」というので、会場を眺めると、黒人のプロデューサーが、ショーに使われた衣装や小道具や高級車や時計などの小物を、全部お客に呉れてやっているのだった。7/25

私とある老人が、SNSで好きなことを語り合っていると、今井さんが「そんな無駄話は即刻やめろ」と文句をいうので、「ここは死にゆく者のための空間なんですよ」と反論した。7/24

バラエテイ番組に出ていた女優が、「背中から尻尾が出ている友達をここへ呼んできてもいいかなあ」というので、プロデューサーの私は、「いいとも」と鷹揚に頷いた。7/23

車の運転は運転手にまかせ、後部座席で乳繰り合っていた私だったが、ふと前を見ると誰もいないので青ざめた。7/22

山澤君が操縦する蒸気機関車は、猛烈なスピードで展示会場に突入し、いろいろな障害物をなぎ倒しながら、壁に激突してようやく停止した。7/21

戦争が始まって徴兵されることになったので、まだ童貞で恋人もいなかった私は、風俗へ行ったのだが、もはやその種のセックスショップは閉鎖されており、味気ない思いで営倉の門を潜ったのだった。7/19

古めかしい大劇場で、演劇を観ていた。はじめは全然詰まらなかったのだが、ようやく面白くなりかけてきたところで突然大地震が発生、いまにも天井が崩れ落ちそうになったので、逃げ出そうとするのだが、足がすくんで動けない。7/18

「「時は西方に流れる」という題名の映画の撮影に同行しませんか?」と誘われたので、私は妻と一緒に3ヶ月間全国を流浪する、ロングバケーションに旅立つことになった。7/17

その少女と関係するのかしないのかが、その場に居合わせた人々にとっての最大の関心事になってしまったようなので、私はおおいに戸惑っているのだった。7/16

激しく泣き叫ぶ声が聴こえたので、息せき切って駆けつけると、一頭の小象が、仰向けになってのたうち回っていた。7/15

足元にまとわりつくリトルピープルを蹴飛ばしても、蹴飛ばしても、まだくっついてくるので、私は疲労困憊してしまった。7/14

ぬばたまのお伝は、「お客さん、よってらっしゃい、みてらっしゃい、これはほんとに美味しいお酒ですよ」と巧みに客引きをしながら、じつはこえたごから汲んで来た汚ない水を売りつけているんだった。7/13

せっかく生まれ落ちても、この小さな蓮池では立ち泳ぎしていないとおぼれてしまうので、子供たちは、必死で手足を動かしているのでした。7/12

「空」派が勝つか「海」派が勝つか、という熾烈な社内闘争の結果、アトム衛星がC衛星を撃墜して後者が勝利を収めたので、私は初めて名刺を作ってもらえることができた。7/12

荒涼とした夜の街の広場で、息子はたった一人でなにか訳の分からない言葉を呟きながらうろついていたので、私は全速力で走り寄って、その太った体を両手で抱きしめた。7/10

私が撃った銃弾は6発であったが、あとで回収されたそれらは、条痕がくっきりと刻まれ、午後の陽ざしを浴びて、黄金色に輝いていた。7/10

戦闘中に気がつくと、心臓のすぐ傍を弾丸が貫通しており、夥しい血が流れ出しているので、私はいよいよ自分はこれで死んでしまうのだ、と初めて悟った。7/9

さる戦国大名の依頼を受けた私は、「ともかく兵に戦争を徹底的に楽しませ、てんでカッコよく死なせてやりませうヨ」と言って、濠の前面にお色気たっぷりのおっぱいの絵を描いたり、大砲の色をピンクにしたりしたので、次々に注文が舞い込んだ。7/8

恋人同伴でショウを見物に来たら、日隈君が「課長どういうつもりですか、このショウの準備は全部うちの課の担当なんですよ。それにもう1箇所イベントもあるし、一体どうするんですか」、とパニクッっている。7/7

「米国からばかりじゃなくて、英国からも借金しないと不公平じゃないか」と彼がいうので、私はまた新しい手土産を持って未踏の地雷原に分け入る羽目になった。7/6

私はナボホ族の女が呉れた旨そうな肉を口に含んだが、彼らが昨夜ヒュー族の男たちを虐殺するところを見ていたので、すぐに吐き出した。ところが仲間のペー公は私がいくら止めろといっても聞かずにムシャムシャ食べている。7/4

ナボホ族を征服させた私たちを歓待しようと、美女が美食を持ってきたが、私は前回の経験に懲りて、蒸しパンだけを口に入れたのだが、じつはそこにも殺されたヒュー族の男たちの肉が含まれていると分かったので、私は直ちに一族を皆殺しにした。7/4

「1500億円相当の秘伝の舞の奥儀を、特別に8000万円で教えてつかわす」、というので、私がどうしようかと迷っていると、その名人は、「さあどうする、どうする」と、手に持った浄瑠璃人形を、私の顔にぐいぐい近づけるのだった。7/3

裏口から逃げだした私と彼女は、オートバイに乗った奴らに追いかけられたので、必死で逃げたのだが、とうとう追いつかれた。「ヤバイ、万事休す」と思われた瞬間、彼らは私を追い越して駆け抜けていった。7/1


 あまりにも暑いというより熱いので、生きていることを忘れてしまう 蝶人

夢は第2の人生である 第19回 [夢]

IMG_2238.JPG 

西暦2014年水無月蝶人酔生夢死幾百夜

「あまりにも多忙だったので、パンフレットの文字校正をする余裕がなかったのです」、と若者たちは、懸命に弁明するのだった。6/30

私たちが運営しているNPO法人は、今年は赤字のはずだのに、なぜか50万の黒字になっているので、調べてみたら安倍蚤糞という会社から350万円の寄付があった、ということが分かった。彼らは水面下で税金をばらまいているようだ。6/29

その謎の電話会社は、先住民に誘拐された一家の悲劇を、隠喩だか、暗喩だか、モチーフにしているという噂があったので、私以外は加入していなかった。6/26

「これは陰茎ではなく、イチジクの形をした肥料なのです。原料は花のエキスなので舐めると花のキャンディにような甘い味がしますよ」と、そのセールスマンはイチジク浣腸をぶらぶらさせた。6/26

地下のスタジオでカモラマンと一緒に撮影をしていると、役員室から尾上理事長が降りてきて、「このパンフレットには違う判子が押してある」などと、じつにくだらないイチャモンをつけたために、撮影は中断のやむなきに至った。6/25

夜の海の奥底には、無数の深海魚がひめやかに泳ぎ回り、その隠微な世界は、波の上からのぞきこんでいるだけでは、到底伺い知ることができない。6/24

停車中の電車に乗り込むと、大学の演劇部の仲間たちが、座席にすわっている乗客たちを次々に殺しているので、恐ろしくなった私は、電車から飛び降りて線路伝いに逃げだした。6/23

独り暮らしをしているマンションで家政婦を頼んだのだが、火はつけっぱなし、水は出しっぱなしで、部屋中が水浸しになってしまったので、すぐに追いだした。6/22

もののはずみで誰かが「こんな会社辞めてやる」と言い出し、まわりの連中も「我も我も」と続いたので、ブラックプレジデントの私は、「本当に辞めたいなら、人事課長の中沢君か係長の内田君に届け出なさい」と言うた。6/21

夢の中なので、いくらお金を借りようが使おうが関係がないということにようやく気づいた私は、それこそ夢中になって欲しかった高価なあれやこれやを、どんどん手中に収めていたのだが、ふと「夢から覚めたらどうなるのか?」と心配になった。6/20

私はAに金を貸した。その金をAはBに貸した。しばらくしてAは、「Bが行方不明になった」と私に告げたが、おそらくそれは嘘だろうと思いながらバイトを続けた。6/19

私は、息子が私のお金を無断で持ち出したことを知っていたが、なにも言わなかった。しばらくして金庫を覗くと、そのお金は元に戻っていたので、息子が返したことが分かった。6/19

地震警報が発令されたので、私らは間もなくやってくる津波にそなえて、各戸に1個ずつ配布されている大きな浮輪を膨らませようとしたのだが、慣れない作業ゆえに捗らず、焦りまくっているうちに、それは襲ってきた。6/17

客がギネスばかりのんでいるロンドンのパブで、私はノンアルコールのビールを頼んだはずなのだが、それはいつまで経っても運ばれて来なかった。6/16

彼らは男ばかり数名で共同生活をしているようだった、ノノヘイが病気の時はセキノが、セキノの具合が悪い時はスギザキが代わりに仕事に出て、お互いに助け合っている姿が好ましかった。6/15

東京を逃れて京都にたどりつき、熊野神社あたりで学生相手の一膳飯屋を物色していたのだが、唯一の女性である前田嬢が「これは嫌、これもダメ、ちゅうちゅう蛸かいな」と文句ばかりつけるので、いつまで経っても昼飯にありつけない。6/14

世の中が戦争一色に染まって来たので、もう黙っているしかないといったんは思ったのだが、あまりに酷い事態を迎えつつあるので、最後の科白を言おうとした途端、突撃兵たちの集団に飲み込まれてしまった。6/13

私が率いる1個小隊は、東に向かっていたのだが、西からやってきたわが軍団の大波にのみ込まれてしまったので、みな三八銃を抱えたまま、ちりじりばらばらになってしまった。6/13

「これからはワンショットごとに消費税を掛けることになった」というので、念のために撮影済みのフィルムを調べてみると、確かに映像毎のすぐ後の黒いフレームには「消費税8%」と書きこんであった。6/12

私は息子を海につれていって泳ぎを教えようとしたのだが、彼は親の言うことは全然聞かず、しばらく放置していたら独りで沖合まで行って勝手に泳いでいるのだった。6/11

塹壕戦に従軍していた私らは、指揮官が全軍突撃を命じたので、三々五々前面の狭い砲撃口から外へ出ようとしたのだが、そもそもそこが狭すぎるうえに、銃や背中の飯盒が邪魔になって、押し合いへしあいするうちに全てが終わった。6/11

プロレスの八百長試合で、私が「ハイ」と声を掛けると、甲が乙に業を掛ける段取りになっていたのだが、んなこたあすっかり忘れて試合を見物していたために、試合はそのまま終了してしまった。6/10

最新のメンズ市場の販売動向を中島選手が延々とレポートしている間、僕たちはねんねぐーしたりあらぬ空想にふけったり、どうやって借金を返済するか算段したりしていた。そして僕たちはこういう時間こそはリーマンにとって至高の時であることを知っていた。6/9

大勢の兵隊を乗せた巨大な軍用列車は、なぜか線路から浮かんでしばらく空中で静止していたのだが、突然呪縛が解けたように汽笛を鳴らして疾走し始めたので、兵士も群衆も鳥も喜んで叫んだり鳴いたりした。6/8

洗濯物を家の外に干しておいたのだが、いつの間にやらそれが道路に落ちてしまって、その上をたくさんの車が轢き過ぎていくのだった。6/8

苦心惨憺の末に1枚1面当たり3時間の長時間超高音質安価LPレコードの開発に成功した私は、CDの音の暴力に悩まされ続けていた全世界のクラシックファンから感謝されただけではなく、一躍大金持ちになってしまった。6/7

死刑囚の私の首の上から、シューっと唸り声を上げてギロチンの刃が落ちてくるのを聞きながら、私はそれが初めてではなく、いままでに幾たびか経験していたことを思い出していた。6/6

戯れにガイガーカウンターを買った私が、自分の体や周囲の家具や植物などにそれを向けると、物凄い音響を発してガアガア、ガアガアと唸り続けるので、私は思わずそいつを取り落としてしまった。6/5

プロデューサーは、私が演出する番組の視聴率が悪いのを気にして、あれやこれやの提案を口にするのだが、私は昆虫の名前はすぐに覚えられるのに、どうして野の花や草花の名前を覚えられないのかと考え込んでいた。6/3

私は寝る前に黒い靴下を履き、これなら水虫も痒くならないはずだ、と考えていたのだが、夜中に蚊に刺されてしまったことは想定外であった。6/3

私が彼の女を奪ったために、彼はたいそう私のことを怨んでいたが、これまで彼は大勢の男たちの女を無理矢理奪っていたので、これもいい薬だと私はひそかに考えていた。6/2

グリーン州のグリンランドがこんなに素晴らしい緑の楽園とは知らなかった。観光客は誰ひとりいないし、風と鳥の鳴き声以外は朝から晩まで物音一つしない。私はなにもかも捨ててこの地に永住したいと願った。6/1


 なにゆえにアメリカは自衛権を主張するイスラム国から侵略されたの? 蝶人

夢は第2の人生である 第17回 [夢]

IMG_1289.JPG

西暦2014年卯月蝶人酔生夢死幾百夜


テレビ局に入社した私は、上司の命令で全国津津浦浦を経巡ってその土地に生きる人々の暮らしぶりを紹介する番組を作り続けていたのだが、東京本社の人間はもはやそんな私のことなど忘れ果てたらしく何年経っても音沙汰無しだった。4/30

暴力団の武装勢力と対峙していた僕たちは、だいぶ消耗していたが、ふだんはあんなに柔和な高山公平くんが激しくアジっているのを聞くと、「よーしひとふんばりしてみようじゃないか」と勇気が湧きおこってくるのだった。4/28

久しぶりに会社の広報誌を見たら全然聞いたこともない連中が会社とも世の中とも関係のない不可解な記事や対談やアホ莫迦な感想を吐き散らしているので、担当の前田さんにその訳を聞いたら「上司が狂ってしまったからどうしようもないの」と言って項垂れた。4/27

広告のコンセプトも全体のデザインもコピーの書体と級数までもが決定しているというのに、肝心要のキャッチフレーズがまだ出来上がっていないので、関係者全員がコピーライターである私の方を見詰めているのだが、まったくのノーアイデアなのだった。4/26

彼らの物づくりのレベルはかなりいい加減で個性も創意工夫も感じられなかったが、そのときは私はあえて駄目だしをせず、鷹揚に若いスタッフの労をねぎらった。4/25

私たちが所属していた自由市民軍はみなおいぼればかりだったので、みな勝手気儘にふるまって正規軍の連中は眉をひそめていたのだが、いざ戦闘となると楽しみながら戦い、しかも強いのだった。4/24

ボロボロの飛行艇を修理するために、たくさんの硬貨を入れて大量のコンクリートを機に注入すると、いっぺんに崩壊する危険があるので、わたしは100円玉をちびちび投入しながら、愛機を慎重に修理していった。4/23

昨日診察してもらった病院が地震で倒壊したというので、知人の安否を確かめにいったところ、運悪くまたしても崩落が起こって瓦礫の山に呑みこまれてしまったのだが、そんな私を助けだしてくれたのは昔の恋人だった。4/21

イケダノブオが「パリに持ってゆきたいのでいい映画を推薦してください」と頼むので、いろんな映画を見まくったがいいのがない。知り合いの若い女性がある中国映画を推薦するのでこれにしようかと思ったが、それは彼女を思いのままに操っているリーチンチンの仕掛けと分かった。4/20

フォノグラムの尾木さんが、いきなり悪魔の歌を歌い始めたので驚いていると、誰かが「あの人は最近悪魔に心臓を抜かれてしまったので、ああやって本物のオペラ歌手を目指しているんですよ」と教えてくれた。4/20

商品企画室のA子と打ち合わせしていたら、彼女の上司の山口君がいきなりA子と企画室のなかの噂話をはじめた。しばらく我慢していたが延々とやっているので、「おいおい、君たち失礼じゃないか。こっちが打ち合わせしていたんぜ」と文句を言ったが、2人とも知らん顔だ。4/19

横町に面した家の奥の部屋には、着物をきてサルカニ合戦のお面をかぶった若い女が、左端でぶらぶらしながら、じっと往来を見詰めている。部屋には小さな裸電球がついているだけで、1つの家具もなかった。4/18

「私は広告を出す代わりに、売れない画家の絵を買っているんですよ」と、その右翼の総会屋は小学館のロビーで豪快に笑うのだった。4/17

吉兆の残飯を毎日食べて飢えをしのいでいた松田君は、遂に奴隷の身を脱して自由の天地に羽ばたいたのだった。4/17

リュクサンブール駅前のカフェに入ったら、昨日スイスで会ったばかりのゴダールが、コーヒーを飲みながら独語の原書でギョエテを読んでいたので「ムッシューゴダール、昨日は大変お世話になりました」と挨拶すると、突然奇妙な東洋人に名前を呼ばれた彼は、一瞬怯えた顔つきになりながらも、ぎこちない笑みを浮かべた。4/16

死ぬべき日を迎えていた私の前に、突然蓮池君が蹌踉とした姿で現れて、「広葉の」という大著を世に出したので、これを読んで感想を述べてから死んでくれ、と嘆願且つ強要するものだから、とうとうその日は死ぬることができなかった。4/16

事故死した若林君のバラバラの死体は、4つの茶色い断片になって保存されていたのだが、それらがひとつずつ白昼の下に引き出され、バチンバチンと組みたてられていくと、若林君はたちまち生者となって蘇った。4/15

巴里に滞在していたら、息子の知り合いだという触れ込みで、全然知らない3人の若者が、入れ替わり立ち替わり私の部屋を訪ねてくるのだった。4/14

1985年に私の新居が出来たが、それは1本の巨大な楠を斧で切り倒し、鑿で刻んで作られた手造りの家だった。4/14

南蛮から鉄砲が渡来した種子島に、西洋服の第1号も渡来していたというので、それを見物に行ったら、船着き場の浜辺にお洒落な白いケープが置かれている。記念に持ち帰ろうとしたら、某アパレルメーカーが既に買い取った後だった。4/13

マーラーの交響曲第5番のすべての音符を、広大な正方形の舛の外に押し出すゲームの最終勝利者は、奴隷から解放されるというので、私たちは闘技場の中を必死に駆けずり回った。4/14

30坪ばかりの狭い敷地に、我が家のS型と隣の藤井家のF型の2つの住宅ユニットが相次いで到着したのだが、お互い勝手に組み立てを開始したので、もはやなにがどこやら収拾がつかない大騒動になってしまった。4/12

原ジョージという名義でアメリカ企業の株券を持っていたら、どういう風の吹きまわしか無茶苦茶に値上がりして億万長者になってしまったので、大阪支店の仲間たちがお祝いしてくれることになった。4/11

超有名役者が出演するというので人気沸騰の歌舞伎公演のチケットを買おうと、私は夜も寝ないでパソコンの前に座り込み、ネット販売の時間がやってくるのを待っているのだった。4/11

アメリカでアメリカ車を買おうとしていたら、セールスマンが「まずクレジットカードを自分に預けろ」というので「冗談じゃない、お前はいったいどういう奴なんだ」と押し問答しているうちに朝になった。4/10

自転車で保谷ヶ谷まで行こうとしたのだが、横浜駅の近所の小汚い一角で、路はおろか方角すら分からなくなってしまった。仕方なく自動販売機に自転車を寄せかけていたら、子供たちがやってきて「ジュースを買うからどけてくれ」と騒ぐのだった。4/9

佐藤愛子さんが愛猫の青木愛子を亡くして涙にくれているので、「猫じゃなくて犬ですけどうちの愛犬ムクを霊界から呼び出してお貸ししましょうか?」と提案したのだが、にべもなく却下された。4/9

偉大なるお笑い芸人が亡くなったというので、朝から晩までテレビは追悼番組をやっているのだが、誰ひとり「笑っていいとも」とは言わなかった。4/8

NHKのアホ莫迦会長が、「朝9時半に君が代を斉唱しない者は全員解雇する」と宣言したので、これに対抗すべく、わが社の会長は「会社でいつもソーラン節を踊っていない者は即解雇する」と宣言した。4/8 

イタリア語なんて全然分からないのに、ヴェルディのオペラの字幕製作を依頼された私は、公演が終了するとただちに収録映像を再生し始めたが、そこへ指揮者が飛び込んできて「腹が減ったから飯を食いに行こう」と手を引っ張るのだった。4/7

ABそれぞれ50人からなるチームが、完全原始人生活に挑んだのだが、3か月後に現地を訪れてみると、両チームともほとんど生き残った者はいなかった。4/6

リゾートホテルの労働者たちは、大幅賃上げを要求して無期限ストライキに突入していたのだが、仲間割れが起こって殴り合いも始まってしまったので、団結がぐずぐずに崩れ去り、お決まりの敗北を喫してしまったのだった。4/5

道路混雑を規制する会議に出たのだが、会議がポンポコ狸踊りを始めてしまったので、とうてい結論など出やしないのだった。4/5

「こんなに広告の出校があるんだからパブも宜しくね」と誰かがリクエストしたら、婦人画報の戸川さんは「ハハハハ、また冗談ばっかり」と例によって豪快に笑い飛ばすのだった。4/5

全身黒ずくめのそのオバハンと、ちょっとしたことから言いあいになってしまった。会合が始まって司会者が挨拶しているというのに、そのオバハンが後ろを振り向きながら、また私の悪口を言いだしたので、私も応酬を開始すると会場は騒然となった。4/4

どこかの寄り合いでおいらは連れの席を取っていたのだが、あとからやって来たヤクザが「そこは俺の席だ」と難癖をつけやがったので、最初はしたでに出ていたおいらも、すぐに切れてしまって、彼奴をあっというまにボコボコにのしてやった。4/3

図書館に行ったが、平日の真昼間だというのに、誰もいない。仕方なく「誰かいませんか?」と大声を出すと、暗い奥の方から割烹着をきたおばさんが出てきたので「お茶を下さい」と頼んだらハイと答えたきり、いつまで経っても姿を現さない。4/2

軍事演習という名目で隣国のアパリティアに進駐したわが軍団は、ここで進撃をとどめるべしという慎重論と、さらにアンゴラ国まで東進すべしという積極論が激しく対立したために、進軍を停止せざるをえなかった。4/1


なにゆえに普通の国にして喜んでいるこの国だけは戦知らずの国なるを 蝶人


夢は第2の人生である 第16回 [夢]

IMG_1039.JPG

西暦2014年弥生蝶人酔生夢死幾百夜


引越しをした。現地につくと段ボールから出された荷物が全部家の前に並んでいる。驚いた。机も椅子も本もピアノもお皿もまるでその空き地が居住空間であるかのように配列されているので、パソコンに向かって日記を書いていると、雨が降って来た。3/30

島崎藤村の身内の何回忌だというので、その生地を訪れた私だったが、そこは山奥の薄が茫々としげる草原の真ん中の一軒屋で、まわりには誰も住んでいなかった。平屋の八畳間には大きなテーブルだけがどかんと置かれていた。3/29

黒光りがする頑丈な古材のテーブルには、私の右に見事な白髪の島崎藤村、まん前には壮年の森鴎外、左にはまだ若さが残る夏目漱石が座っていたが、彼らの顔は逆光でよく見えない。藤村の手には子供の作文か悪戯描きのような紙片があった。3/29

「君は何駅で降りたのかい」と尋ねると、鷗外が「某駅だ」と答えた。それぞれ違う駅からここへ来たらしい。すると藤村が、「なるほど漱石君は一つ先の駅を降りてまず墓参りをしてからここへやって来たというわけだ。そういうコースがあるとは私も思いつかなかったとな」といって愉快そうに笑うのだった。3/29

その町の寄り合い所には、意見を異にして敵対する2つのグループ全員が、手に手に武器を携えて結集していた。はじめのうちは荒あらしい言葉の応酬だったが、誰かが誰かを殴ったのを皮切りに、たちまち白刃がきらめき、弾丸が飛び交う阿鼻叫喚の巷と化した。3/29

集英社やマガジンハウスの編集者が集まって、なにやら懸命に企画案をプレゼンしているのだが、おびに短したすきに長し、で行き詰った私たちは、テーブルを離れて午後のコーヒーを飲みにいった。3/26

後楽園ホールで開催される「ばちかぶり」の雲古ライヴに行こうと彼女と一緒に水道橋の改札口を出ようとしたら、三角形の頂点にあたる場所に黒メガネをかけたチンピラが立ちはだかって通せんぼうをするので、一発でノシてやった。3/25

西武グループの御曹司のはずなのに、テレビや週刊誌でしか知らない立派な顔をした堤一族が勢ぞろいした大会議の中で、私は蒼ざめた顔付きで黙り込んでいるしかなかった。3/24

大震災のために横倒しになった路線バスが、公園の中に倒れ込んでいたので、カルテットのメンバーである私たち4人は、その内部の狭い空間を活用して、練習したりミニコンサートを開いたりしているのだった。3/23

地下鉄に乗ろうと下降していくと、道はまるで大蛇の巣穴のようにどんどん大きくなり、また丸くなって地下へ地下へと降りてゆく。不安に駆られた私は携帯を掛けたが通じず、仕方なくほぼ垂直に落ち込む真っ暗な道を落ちていった。3/22

ある会社に飛び込み営業を掛けて、出てきた若い女性社員の下着を脱がせて、その場でなにをしようとしていたら、アメリカ人のおっさんが「スミマセンガ」と道を聞くので、彼女とつがったまま廊下に出て「あっちだよ」と教えると「サンキュウ」といって立ち去った。3/22

医学生の私は、男性の死者たちのペニスを解剖して、そこに刻まれている彼らの末期の言葉、すなわち「金言」を書きとめ、遺族に教えると共に私の博士論文の糧としていた。3/22

私は歌舞伎のチケットを買いに来たのだが、大きなビルヂングのどのフロアに売り場があるのか分からず、エレベーターが止まるたびに外へ出ようとするのだが、すぐに扉が閉まってしまい、結局買うことが出来なかった。3/21

善行を施す度にその人の評価は高まり、彼が住んでいる石川島を見下ろす超高層マンションの彼の住処は上へ上へとあがってゆき、とうとう最上階のペントハウスに到達したのだが、今では避雷針の直下の小屋に住んでいる。3/21

敵鑑からの集中砲火を浴びて30数発の砲弾に見舞われながらも、私が搭乗している戦艦は無数の損傷を蒙りつつも奇跡的に運行に支障はなく、毎時20ノットで疾走しているのだった。3/20

ファシストたちが罪なき市民をほうりこんでいる収容所の中で、私は普段の習慣を改めることができず、取締官の目を盗んで、夜な夜なぐうたら日記をパソコンにアップしているのだった。3/20

小中高大学と何も勉強らしいことをしないで卒業し、会社に入っても同じような状態で呆然と過ごしていたが、そこを追い出されてからは少し勉強を始めたけれども、それがとんでもなく遅すぎたのだった。3/19

自殺未遂の青年に、少年の私が「どうして死のうと思ったの?」と尋ねたら「いずれ君にも分かるさ」と答えたが、まもなく死んでしまった。やがて私が彼と同じ年になった時、私も自殺してしまったのだが、その時になって初めて彼の言葉の意味が分かった。3/18

午後6時ごろになってようやく電気が来たので、店の照明を調整したり、電気仕掛けのPOPを動かしたり、BGMを掛けたりすることが出来るようになった。3/17

肝心の商品がよくないうえに販売網に破綻が生じているというのに、宣伝広告を強化すればこの危機を突破できると説くM部長の頑固な能天気を嫌って、私たちは全員で休暇を取ってピクニックに行った。3/16

震災による停電がようやく回復してきたので、それまで天井を向いていたショップの照明の向きを変えて真下にしたら、売り場の雰囲気が明るく楽しいものへと一変した。3/15

夜遅くまで残業をしていて腹が減った。中野坂上の駅前広場のようなところの店でなにが出来ると聞いたら、カレーライスとランチの炒め直ししかダメだというので屋台のラーメンを探すことにした。3/14

大名行列の先頭を歩いていた侍が、突然大刀を抜きはなって、後続の武士たちを斬りつけながら、中央の駕籠に向かって殺到してくる姿が目に入った。3/13

今日明日のオケの演奏曲目が、ハイドンとモザールの後期交響曲をそれぞれ3曲だというのに、指揮者は現れず、なんのリハーサルもないので、私たちはだんだん不安に駆られてきた。3/12

その若い女性は英国大使館の窓口担当だったが、彼女が黙って右側の席に座ると、左の席から窓の外に出てくる英国国旗が、まるで音声付のロボットのように、英国の観光案内を始めるのだった。3/11

朝日新聞の歌壇に自作の短歌が掲載されているかどうかを確かめようと、作品を書き込んだパネルを持った私は、往来を通行する人々に見境なしに尋ねたのだが、みんな怯えた表情で逃げ出すのだった。3/10

去年は17歳、今年は同じイタリア人だが20歳の女性と弧島でひと夏を過ごすことになった私だが、他にすることもないので朝から晩まで幾たび性交に及んでもついにそれを最後まで貫くことができないのだった。3/9

東京ドームでファッションショーがあり、イケダノブオと一緒に見物していると、隣の席の男が「ちょっとやってみませんか」と言ってリトマス試験紙のようなものを持ってきて私の胸に張ると、「あなたガンですね」と宣告したので、愕然とした。3/7

なんでもさる引取り屋が息子を引き取ってくれることになったので、準備万端を整えて業者が来るのを待っている間に、彼は何杯も何杯もカレーライスをお代わりするのだった。3/6

鈴木、杉本の2人のリーダーに導かれた我らのチームは、勝抜きゲームに勝利した。なんでも御馳走してやるというので今では貴重品となったウナギのかば焼きに舌鼓をうっていると、いつのまにか奇麗どころが膝の上に乗っているのだった。3/5

次から次へと山海珍味が目の前に並んだが、私の胃腸は最新のハイテク技術でこんとろーるされていたので、どんどん退治していった。3/4

中学校の中川という女性音楽教師の下宿に招かれた国語教師の私は、彼女がショパンの小犬のワルツを弾いている背後から抱き締めて、その張り切ったお椀形の両の乳房をゆるゆると揉みしだいた。3/3

雪は次第に解けはじめていたが、まだ人間ピラミッドは確固とした形態を維持していたので、私はその一角に潜り込んで次の大震災に備えることにした。3/2

私は貧しくてお金がないので、さる富豪の家の前の道路の下にある地下室に住まわせてもらっていたが、そこは日の光こそ差さないが、広くて静かで、なかなか快適な環境だった。3/1


なにゆえに蓮の葉っぱを好むのか君は生まれながらの仏様ゆえ 蝶人

夢は第2の人生である 第14回 [夢]

IMG_0949.JPG

西暦2014年如月蝶人酔生夢死幾百夜


はげ山の頂上に「トリスタントイゾルデ」の愛の死が鳴り響く。劇伴はカラヤン指揮のウイーンフィル。歌っているのは私の隣にすっくと佇立するジェシーノーマン。私はその巨大な体躯から流れ出る太い歌に震撼させられた。2/27

荒野の真ん中でさながらさすらいのガンマンのようにたたずんでいるのは、マガジンハウスの「ターザン」でレジェンドと称された辣腕ライターだったが、私がいくら覗き込んでも、テンガロンハットに隠されたその蒼ざめた相貌を伺い知ることはできなかった。2/27

中国を訪問していた私は、なぜか某国の第一将軍に擬せられ、両国の歓迎祝祭儀式の先頭に立って双方の国歌斉唱を聴かされる羽目になったのだった。2/26

新しいスタジオが完成したというのに、私たちはそこをライヴや録音に使うことも許されず、管理者は夜な夜な催すパーティだけに使用しているのだった。2/25

警官隊の突入を前にして、私は彼女と一緒に居るべきだと考えているのだが、もしも彼女がそう思っていないとすれば、それを強要すべきではないとも思い、さてどうしたものかと、心は千千に思い乱れるのだった。2/25

「今日は村上春樹さんにお引き合わせしますから楽しみにしていて下さいね」、という広報の前田さん他1名と一緒に真っ白に塗られたエレベーターに乗っていたのだが、なぜか私はだんだん呼吸困難に陥り、扉が開くや否やその場にしゃがみこんでしまった。2/24

最新型のウエラブル眼鏡型端末を装着しながら試験問題を解いていたら、その答えが全部目に映ってくるので、私は驚いて周囲を見回した。2/24

試験が終わってくつろいでいると、突然資生堂の販促会議の情景が映し出され、新製品の命名を議論していたので、私が何気なく「コンソート・オフ・ふぁっちょんはどう?」と呟くと、みながそれに同意したので驚いた。2/24

牧師の私が留守の間に、教会で殺人事件が起こったらしい。急報ですぐに引き返した私は、どうやって事態を収拾したらいいのか迷ったが、まずは会衆一同を落ち着かせなくてはその場に跪いて祈りをはじめた。2/23

私はどういうわけで浅田姉妹が抱き合ってシクシク泣いているのかてんで分からなかったが、どちらかといえば姉の方が美しいなあ、と思いながら見詰めていた。2/22

私が担当していたテレビドラマは視聴率も取れずさんざんな出来で終わってしまったのだが、終了後のスタッフの絶望と不安に閉ざされた暗い日々を淡々と記録したドキュメンタリー番組が好評で、それが私の今後の唯一の希望なのだった。2/22

なぜか南アルプスの山々の地図に私の名前が記されていたときいたので、豪雪がうずたかく降り積もっているにもかかわらず、その原因をつきとめようと、私は単身現地へ向かった。2/21

わが愛する尼将軍は、今度の戦争の最前線で軍勢を指揮していたのだが、突然の病で忽然と世を去った。2/20

今井さんからの手紙の「君の短歌は扼然なり」と書いてあった。扼然などという日本語はないはずだが、造語にしてもいったいどういう意味だろう。なんだか不吉な文字だなあ、と考えているうちに朝になった。2/19

峠を下りたところで、尨毛の大きな野犬と友達になった。渠は容貌は怪異だが心根はおだやかなようで、街を追放された私の傷心を慰めるために、ときどきピアノでシューマンの小曲を弾いてくれるのだった。2/19

その男は、米国のさる国家的重大事件について偽証した謎の人物なのだが、そんな世間から降りかかる灰色の疑惑などものともせずに、じゃんじゃん仕事をこなしていた。2/18

カルチェラタンの大学でバリケードが張られていたのだが、中の教室で授業があるからどうしても入りたいとがんばる女子の後について荒涼たる空間をうろうろしていると、ロシアのCMが流れていた。2/17

私は前世ではナマケモノだったので、ずっと朝まで1匹のナマケモノとしてうろうろしていた。2/16

マイナーな芝居を見に行ったら、突然妙な顔をした男が、私に舞台に立ってくれというので断ったのだが、彼はこの芝居の演出家でトイレの中まで付いてきて執拗に出演して呉れと懇願するのだった。2/15

映画評論家でもないのに私の名前が新聞にでかでかと出ていた試写会に行くと、会場の後ろには巨人族の2人が立っていたので、私がそれを撮影すると、フィルムをスタッフに取り上げられたので、頭にきた私はその顛末を詩に書いた。2/14

いままで平和そのものだったこの町も、最近はとても物騒になったので、私は切りだしナイフを常に携行するようになった。2/14

当藩の内部抗争はますます激烈なものになり、女性剣士の永原玲子嬢は長刀で斬って斬って斬りまくったために、饅頭屋は饅頭でいっぱいになったのでした。2/12

集英社に行ったらいろいろな雑誌の編集者がどんどん出てきて、名刺も持っていない私に神保町商店街を活性化して焼肉ランチを売れるようにするプロジェクトなどに参加するように要請されたが、もはや商店街にも焼肉にも興味がないので早々に退出した。2/12

この大学では就活指導と婚活を案内を同じ部屋でやっているので、ときどき混乱が起こる。ついさっきも面接指導を受けていた2人を結び付けようとした指導員が、大反発を受けていた。2/11

わが国初の国産宇宙船に乗り込んでいた私たちは、いよいよ着陸という際のトラブル発生でパニクって、窓の外に急接近する海にいつ飛び込もうかとハラハラドキドキしているのだった。

包装紙を次々に破ってゆくおじさんを、僕たち子供は呆然と眺めていた。2/10

永代橋にあるそのショップはとても居心地がよく、私は仕事もさることながらほとんど遊びの感覚でそこでの生活を楽しみ、家に帰るのが惜しいと思えるほどだったので、店の一角で寝泊まりするようになると、奇麗な女の子が毎晩訪ねてくるのだった。2/10

静子さんがとうとう5時ごろに亡くなったのに、私は会議があるというのでそのまま死の床から立ち去ってしまい、夜になってから戻ってきたら彼女の頬は冷たくなっていた。2/9

ヨハネ受難曲に続いてマーラーの交響曲第9番を延々と演奏しているので耳がタコかイカになり、「いい加減にやめなさい」といおうと思ったが、それほど酷い演奏ではないし、指揮者が女性なので、私はそのまま彼らがしたいようにさせてあげた。2/10

モンドリアンの絵画の中を漂流していた小さな♪の私は、吹いてきた風にあおられて、もんどりうって真っ逆さまに転落してしまった。2/8

高当丸に乗り組んだ私は、他の2隻を率いて戦争のまっただなかであるにもかかわらず、敵の機雷だらけの海を無事に本土まで輸送することに成功したのだった。2/7

コンサート会場で第2バイオリンが若い未熟な指揮者に反発してボコボコにしたという話を聞いた私は、演奏会の前半で帰宅しようとしていたのだが、思い直してまた自分の席に戻った。2/6

マガジンハウスの久米ちゃんから試写会の招きを受けた私は、久しぶりに東京に出かけたのだが、巨大な会場のあちこちにライオンが駆けずり回っては咆哮しているので、くわばらくわばら命あってのものだね、としっぽを巻いて退散した。2/6

健君と2人で長い時間をかけて歩きまわり、この島のもっとも美しい眺望ポイントを探し出すことができた。2/5

「いまから2時間以内にここから逃げ出せば自動殺戮装置は起動しないからすぐに出来るだけ遠くへ逃げなさい」と助言したにもかかわらず、そのジョルディーナという若い娘は逃げ出さずにむざむざ死なせてしまった。2/4

大勢の優婆塞たちが集まり、諸肌を脱いで人の上に人が登って、見る見るうちに巨大な人体ピラミッドが出来上がり、それが大空高く聳え立つのを私は呆然と眺めていた。2/3

毎朝英国のある町を発って仏国のある町まで通っている私は、自分がいったい何者であり、なぜそんなことをしているのか、またいったいそこでどういう仕事をしているのかも分からないまま、毎日そんな行き帰りを続けているのだった。2/1


なにゆえに今年の夏はまだ来ない我が家の紫陽花がまだ咲かぬから 蝶人


夢は第2の人生である 第13回 [夢]

IMG_0829.JPG


西暦2014年睦月蝶人酔生夢死幾百夜


ヴェネチアのサンマルコ広場にマーラーの交響曲の楽譜が落ちていたので、リアカーに乗せて自分の家まで持ち帰った作曲家は、それっきり部屋から出てこようとはしなかった。1/31

サーカス団の6人の子供たちが、観客席で見物していた私に「早くここまで登っておいでよ」と誘うので、するするとマシラのように支柱を登りつめた私は、彼らに混じってマーラーの交響曲第6番にあわせて空中連続宙返りを敢行したのだった。1/31

やっと電車が来たのでみな一斉に乗り込もうとしていると、1人の若者が停まっている電車のレールの下の穴に潜り込んでしまったので、心配になった私は彼の後に続いた。1/30

スキー場にやってきたアルバイトの女子大生が、いきなりハモンドオルガンでバッハを弾いたので、同じ大学のアメラグの3名のクオーターバックの選手が、滑降中に激しく転倒した。1/29

「あとは僕に任せて下さい、色々打つ手はありますから」と言い置いて、敵に向かって駆けだした途端、上司の龍宝部長がいきなり私の背中にしがみついた。どうやら敵のリーが、部長になり済ましていたらしい。1/28

夢の中で夢記憶装置が2個置いてあるので、それをオンにしてみたら、私が実際に見た夢とだいいたいは一致していたが、部分的には違っていたり、途中でちょん切れていたりするのだった。

超苦手な部下の逆パワハラに猛烈に悩まされていた私だったが、ようやく彼女が他の部署へ出て行ったので、ホッと一息ついて猛烈に仕事がしたくなったのだった。

韓国のどこかで日本あるいは日本以前の日本列島の影響を受けた文化遺産が発掘されたというので、私だけでなく友人や専門家の人たちも驚いた。後進地帯から先進国への逆輸出もあるのだろうか。1/27

わが社でたった一人の鴨下カメラマンは、あれやこれやの撮影で引っ張りだこだったが、彼を担当する廣瀬マネージャーの手違いでダブルブッキングが発生したために、あちこちからクレームが殺到していた。1/26

見知らぬ人と名刺を交換したのだが、和服を着たその老人の名刺はお弁当箱くらいの大きさの透明な箱になっていて、その中には金魚が1尾泳いでいるのだった。1/25

いよいよ敵軍との大決戦が迫って来たとき、余が軍服を脱ぎ捨てて郷里の普段着に兵児帯を巻き付けて陣頭に立ったので、幕僚と兵たちは呆然自失の態だったが、これによって余は平常心を取り戻すことが出来たのだった。1/23

国家暗殺局に逮捕された我々3名の前に、3つのコップが出された。2つはただの水だが、1つだけトリカブトの毒が入っているという。「好きなのを選んで呑め」というので躊躇っていると、最初に呑んだ奴が口から泡を吹きながらのたうち回っている。1/22

「なにゆえに」ではじまる短歌を来る日も来る日もセッセと作り続けていたら、某出版社から電話がかかって来て、これが1万首になったら本にしてあげます。但し金200万円也と引き換えです、というので驚いて断った。1/21

リーマン時代の最後の日に伊勢丹の営業部長のところへ挨拶に行ったら、鳥取特産の「20世紀」を御馳走して呉れた。私はその水も滴る大きな梨を頬張りながら、もう2度とこんな美味しい梨を口にする機会はないだろう、と思っていた。1/20

サッカーの試合であらかじめ談合して、彼女がしかるべきときにゴールを決めるように打ち合わせしていたにもかかわらず、どういう風の吹きまわしか、私は自分の持ったボールを敵陣に蹴り込んでしまったのだった。1/19

ブラジルのオジサンが亡くなって突然私に証券の遺産が転がり込んで来たので、これで借金が払えると大喜びしていたら、新日本証券が証券を売り渡すまさにその日に世界恐慌が起こってすべてがパアになってしまい、私は元のルンペン生活に戻ってしまった。1/18

裏山を登っていくと頂上でキース・ジャレットが富士山を眺めていた。キースは白人だと思っていたが、なぜか黒人の顔をしていた。2人並んで御来迎を待っていたがなかなか太陽は昇らなかった。1/17

久しぶりに新潮社の別館にエンジンの編集部を訪ねたら、6畳間くらいのスペースに8人が座ってぎゅうぎゅう詰めで仕事をしていた。壁には映画「プラトーン」のポスターが貼ってあるので、時が今ではないと知れた。編集長のスズキさんはと訊ねたら行方不明だという。1/17

ワーナーの試写室へ行くと早川さんが出てきて、「さあこれからホットドッグの原田さんとターザンの澤田さんと一緒にご飯を食べに行きましょう」と誘われたので、トコトコついていくと美味しいチャンコ料理を御馳走になってしまった。1/17

白い貫頭衣の古代の娘たちが、奴隷たちを次々に殺戮してゆく。大沢氏が演出した3D映像は圧倒的な速度と美しさだった。しかもそれらを銀幕越しに炭素年代法で測定すると、それらすべてが紀元前1世紀の素材であることが明らかになった。1/16

森繁久弥と田中角栄が、「そのお、あたしゃあとうとうたたなくなってしまったよ。死んだ方がましだ」と泣いているので、「歳をとればみなそうなるんですよ。あの渡辺なんとかいう三流性小説の作家もインポテンツになったそうですよ」と励ましたが、泣きやまなかった。1/15

近所で起こった女子高校生殺人事件の犯人とおぼしきオートバイに乗った男の撮影に成功した私だったが、それを警察に届けたものかどうかと悩んでいるのだった。

私は一晩中夢を見ていたが、それはまったく同じ内容の夢だったので、すっかり退屈してしまってなにか別の夢をみたいと思い、できればそいつを短縮版に切り替えようと思うのだが、うまくいかないので疲れ果ててしまった。1/14

ハワイで敗戦を迎えた私は、田中さんに頼まれ、そんな技能も実績もないままに邦人たちのスタイリストを務めることになったが、彼らは私に向かって口々になにか仕事はないか、仕事を寄越せと喚くのだった。1/13

学校の校舎のエレベーターの前に山口君がいた。久しぶりなのでいろいろ話をしようと近ずいたがなにも言わないので、よく見たら山口君そっくりの菊人形だった。1/12

りびえらさんは枚方の菊人形の会場に幽閉されてしまいました。りびえらさんに同情した女の子が面会にやってきましたが許してもらえないので、仕方なく門の外でりびえらさんのお母さんとたちつくしておりました。

「お母さん、りびえらさんはどうしてりびえらさんというの」
「リびえらさんはリビエラからお嫁にやって来たのよ」
「りびえらさんはなにか悪いことをしたの」
「いいえ、悪い大臣が勝手に牢屋に入れたのよ」

りびえらさんはリビエラ国のお姫様だったのですが、悪い大臣が黒い戦争を企んだ時にただ独り反対したために、ここに連れてこられたのです。

それから2人は可哀想なお姫様のために「冬のリビエラ」を歌い、1本の薔薇を置いて立ち去りますと、りびえら姫もこんな歌を歌いました。

 ふるさとはきっと薔薇の花盛り でも枚方には菊のお花しかない
み園生の泉の底に沈んでいたまがたまの光の懐かしや

するとその歌を聞き付けた名犬ムクが、りびえら姫の絹のハンカチーフをくわえて走ってきましたので、りびえら姫が急いでそれを開いてみるといくつかの木の実が入っていたのでした。

里に初雪が降った夜には、山に棲むキツネが下りてきて村の若者の寝床に忍びこむのだが、若く奇麗な女に変身したキツネは、朝まで男の体の上に乗り、けっして男の自由にさせないのだった。1/11

百貨店に勤める井出君が、売り場の主任にアフリカの土着アートを飾るように進言し、女子販売員も賛成しているのだが、主任はイメージが合わないなどと旧弊な言辞を弄して、あくまでそれを退けるのだった。1/11

まことに陰険な顔をした若者が我が家の長男をいじめている現場に出くわしたので、私はナイフを彼奴の首元につきつけ、「今度このような行為をしたら殺してやる」と激しく威嚇すると、私の決意が本物であると知った男はガタガタ震えてちびった。1/12

三菱鉛筆ユニの改造計画に従事する私は、「I+S+Y」のプロセスで失敗したので、Sを止めてみたら旨く行った。すると今度は悪評高いサントリーホールの音響改造を依頼されたので、音響板を全部撤去して丸裸にしたら妙な浮遊音が解消されて感謝された。1/10

ソープオペラを英国でスタジオ録音することになったのだが、練習練習で疲労困憊していた私たち歌手は、いつのまにかぐっすりと寝込んでしまった。妙な臭いがするので起き出した私がキッチンを見ると、ガスレンジの火がごうごうと燃え、煮物が噴きこぼれているのだった。1/9

女子校の寄宿舎に住みこんで番人をしている私の寝床には、毎晩のように女の子が忍び込んでくる。ある夜などいっぺんに3人も押しかけて来たので対応に苦慮したのだが、最近は毎晩1人ずつになった。きっとみんなで相談してローテーションを組んだのだろう。1/8

「滑川をゴムボートに乗って海まで下りませんか」と町内会長が誘うので、由比ヶ浜まで下ったら、何百人もの市民が集まっていたので驚いた。もっと驚いたのは、会長が「今日の経費は目隠しをした少女が触れた人に全額負担してもらいます」と宣言したことだ。1/8

目隠しをした仏蘭西人形のような少女がいきなり私の腕をつかんだので、私は頭にきて海岸を飛び出してどんどん走っていると、突然漱石の南画に出てくるような巨大な岩山に突き当たったので仕方なく登り続けると、ほぼ垂直の傾斜になってしまった。1/8

空中都市に住んでいた私たちは、猛烈な親の反対を押し切って結婚することに決めた。道の向こうに彼女の姿を認めた私が、エイとばかりに飛んだ途端、向こうから飛び込んで来た彼女と道の真ん中で衝突し、私たちは抱き合ったまま落下していった。1/7

知的障がいがある息子と香港のホテルの近くの駅前で待ち合わせをしたのだが、いつまで経ってもやってこない。顔面蒼白になった私は、その界隈を駆けずり回ってその行方を追ったが、駅員が息子はマフィアに誘拐されたと証言したので私は本部へ急行した。1/6

地震洪水津波警報令が施行された結果、コンサートや各種イベントなどは、高度86m以上の場所でないと開催できないことになったので、私たち音楽業界関係者はいつもライヴ開始前のひとときを特別指定会場付近のカフェで過ごすことが多くなった。1/5

ブログにアップする原稿をああでもないこうでもないと考えあぐねていると、だんだん胃の具合が悪くなってきたので、あわててトイレに駆けこんで吐こうとするのだが、ゲエゲエいうのみでいっこうに何も出てはこないのだった。1/4

景気がいっこうに良くならないので、倒産した会社の差し押さえをするGメンの私は、毎日忙しい思いをしていた。私の相棒はGメン仲間の紅一点の鈴木ナオミだったが、長い間コンビを組んでいるにもかかわらず私たちの関係はある一線をけっして越えようとはしなかった。1/3

実に久しぶりに映画の主演女優へのインタビューの仕事でパリに来ているのだが、なぜか街は60年代のようで、タチの映画に出てきた団体の観光客といたるところで鉢合わせする。そのうちに突然昔の恋人までが登場して、私の通訳をかってでてくれたのでとても嬉しかった。1/2

紅白の司会を失敗したタレントが所属する事務所がそのために仕事が激減したので、従業員を指名解雇しようとしたので、私は彼らを糾合して同盟罷業を行い、誰ひとり犠牲者を出すまいとした。14/1/1


なにゆえに朝から気色が悪いのか着衣に僅かな乱れがあるゆえ 蝶人



夢は第2の人生である 第12回 [夢]

IMG_0820.JPG


西暦2013年師走蝶人酔生夢死幾百夜


久しぶりに大学を受験した。5科目のうちひとつでも成績が良かったら合格できると勝手に思い込んで、ろくに問題が解けなかった数学や生物の答案はださなかったら、落第してしまった。失敗、失敗。耄碌、耄碌。12/31

長らくこの駅で改札係を務めてきたのだがいよいよ定年間際となり、行きかう学生たちと顔を合わせるのもこれが最後かと思うと胸にこみ上げるものがあるが、いちばん気になるのはいつも駅の片隅で薔薇を持ったまま誰かをずっと待ち続けている深窓の才媛ふうの謎の美女だった。12/30

寅さんが生き帰って生き返って「男がつらいよ」の新作が完成したというので中野君の招きで浅草松竹に出かけたが、両隣のコンパニオンが体を触るのと周囲の男たちが煙草をもうもう吹かすので私は飛び出して半島の先端に座って海を眺めていたがコンパニオンは追いかけてきてなおも触りまくるのだった。12/29

大災害に遭った私たちは、懸命に逃れて安全な建物の中に逃げ込んだのだが、階段の途中で後ろを振り返ると、背の高い息子の顔が見えたのでやっと安心できた。12/29

前回の人寄せ興行にオランダのチューリップフェアを打ち出したところ、思いがけず集客があったらしく、社長はいきなり新参者の私を指名して「次はなにをやってくれるんだい?」と訊ねるのでちょうどその時たまたまトドプレスの小黒氏を懐かしく思い出していた私が「トド」と答えると、社長は「海獣ショーだね」と泣いて喜んだ。12/27

大学の建築科で渡辺ゼミに所属する私は、生真面目な学生でありながら国家特殊秘密探索に従事するテロリストでもあり、毎日のようにシリア人やイスラエル人を暗殺しているのでいっこうに気が抜けないのだった。12/26

居間でミサ曲を聴いていたら、地震でもないのに突然家ががたがたと揺れ動き、半分くらい傾いたところでようやく踏みとどまった。これはいったいどうしたことだ。おおこわ。12/25

「一輪の彼岸花が咲いている 世界一弱い国でいいじゃないか」という自作の短歌をプリンしたTシャツを着た私が、名古屋城を見物していると、歌人の岡井隆氏が「お、なかなかイイね」といわれたので「これは日経歌壇で先生に選んだ頂いた歌ですよ」と説明すると「そうじゃったかね。忘れとったよ」と仰った。12/24

第九条をプリントしたTシャツを着て、「日本国憲法」を再出版された元小学館編集者の島本脩二さんと二人で新宿御苑に花見に行くと、天皇陛下によく似た人が「おや、これはなかなかいいですね」といわれたので差し上げると、安倍首相に似た男も「私にもぜひ」というので本と一緒にプレゼントしてやった。12/24

部落への道を急いでいる私の前に姿を現したのは、何枚もの畳や様々な家具でしたが、道の真ん中に転がっているそれらを乗り越えながら私がなおも前進しようとしていると、無惨に壊れた大きな家と壁が立ちふさがり、それ以上の侵入を拒んでいるのでした。12/23

日本と戦争状態に入っている外国にたまたま滞在していた私は、「断固戦争反対」を唱えて街頭をうろついていると、たちまち巡査に誰何され、ただちに気違い病院に連れ込まれたのだった。

絶海の孤島にたつ高層建築のガラス張りの部屋に住んでいた私は、若月嬢に誘われてビルを降り、船に乗って本土に住む彼女の家を訪ねたのだが、いつまで経っても彼女は私を解放してはくれなかった。12/22

私は、店長以下全員がホモのNYのイタリアン・レストランで、パスタを食べようとしたのだが、彼らは「美味しいパスタの作り方を教えてあげるわ」といって私をぐるりと取り囲んで、いっかなパスタを食べさせてはくれなかった。12/21

しかなく別のレストランに入って念願のパスタを食べようとしていると、今度はホモではないヘテロとおぼしき店長が、「たったいまテロリストからこの店に爆弾を仕掛けたという電話があったのですぐに外へ出て下さい」と叫んだので、仕方なくそのまま逃出した。12/21

私たちは広い野原のあちこちにテントを張って、モンゴル人のような生活を楽しんでいた。青空の下で朝から晩までいろんな人のテントを訪ねて、屈託のないおしゃべりをしたり、御馳走になったりお茶を飲んだりしたが、それは慶長の秀吉の醍醐の花見に少し似ていたかもしれない。12/20

かなり有名な画家であり、翻訳家でもある中年の女性の下請けの仕事を、私は長い間担当していた。彼女は名前のみで実際の仕事はぜんぶ私に丸投げされていたのであるが、私は絵や語学の素人なので、いつも苦労に苦労を重ねてその仕事をやってきたが、彼女は絵筆も辞書さえ持っていなかった。12/19

かつて愛した少女と別れた私が泉岳寺の近くで地下鉄の駅を探していると、道端の植物になんと南国特産の巨大なコノハチョウが止まっているのをみつけたので、息を凝らして近づいて右手の親指と人差し指でつかまえ、ギュウと胸を圧迫すると、蝶はその鋭い歯で私の指をチクリと刺した。こいつもしかして吸血コウモリではないだろうか?12/17

誰もがあまり雑誌を買わなくなってきたので、突然わが社のかつての有名雑誌「えりぬき」の休刊が決まった。私は「えりぬき」の若くてきれいな女性編集長のところへ行って慰めようとしたのだが、彼女は泣き崩れて誰の言葉も耳に入らないようだった。12/18

南洋のその島の三箇所は非常に危険だから「絶対に近づかないように」と領事らに警告されていたにもかかわらず、私は丸腰でそこを訪ねて、島民たちとなごやかに交歓していた。12/17

ブランドイメージを守るためには、あなたと広告部と外部のデザイナーのロゴタイプをいつも同じパターンで使うように徹底しなければなりません、と私が述べると、その世界的に高名なデザイナーは苦虫をかみつぶしたような顔をした。12/16

北島君のカメラがいいなあ、欲しいなあと思って1万円札を差し出して「これを譲ってくれないか」といいながらよく見たら、デジカメではなくアナログの古くてボロボロの機種だったので、出したお金をひっこめました。12/15

隣の家からどんどん人が出てくるのだが、みんな手に手に「ゆすらうめ」がいっぱいなった枝を持ちながら、うれしそうな顔をしている。うっすらとピンクに色づいたその実をみているうちに、私も欲しくなって隣家に入っていった。12/15

気がつくと私はどんどん流され、黒潮の思いがけない速い流れに乗って列島を南下しつつあった。遥かかなたには富士山の白く小さな峰が望まれた。12/14

格調高い英国製スーツに身を包んだ永田氏は、私の質問に対して、「スーツの下にポロシャツを着てもいいんじゃないの」と微笑みながら答えた。12/14

眠っている私の口の中に女の舌が入り込んで来た。驚いていてそっと目をあけてみると、それは蛇の赤い裂けた舌だったので、私はそいつの首を噛み切ってしまった。12/13

電通映画社の松尾さんが「僕はね、あなたが仰ったとおり、いやそれ以上の映像をUCLAで撮影してきましたよ」というと、傍らにいて電通の古川氏が「ではこれで自宅までどうぞ。書き方はおわかりですね」といいながらタクシー券を呉れた。

田舎の駅で降りた若者たちは、電車から自転車を下ろしてサイクリングに出かけた。しばらく彼らの後を追ったが、どんどん距離が離れて行く。私にはランニングシューズが必要だと気付いたので、近くの商店街の靴屋に入ってあれこれ試している間に、時はどんどん過ぎていった。12/11

昔の知り合いのOという女性が個展を開くというので、私は知らずに百万円超の資金を援助していたらしい。それと知った妻が驚き怪しみ怒ったのは当然のことだったが、もっとショックだったのは私の方で、私はその事実をつい今しがた知らされたのだった。12/10

熱砂に埋もれた精霊教会に、突如手に手に機関銃を握り締めたアルカイダの兵士たちが乱入し、西欧からの3名の観光客を銃殺したので、私はあわてず騒がず死体を祭壇まで運び上げて神に祈りを捧げているうちに、テロリストたちは教会から立ち去った。12/9

今日の授業は駅前の別館です、と突然事務室より通告されたので私がその教室を探し当てて入ると15名くらいの見知らぬ学生がどんちゃん騒ぎをしていたのでうるせえと一喝して授業を始めようとしたが出席簿がない。いつもなら助手が取ってくれるのだが誰もいない。12/8

仕方なく授業を始めたが、誰も聞いていないようなので、私は自分の声に耳を傾けながらどんどん没入していった。しかしその教室には時計が無く、私も時計を持っていない。夢中になって喋り続けていると、突然学生たちが一斉に退席していった。いつのまにか時間が来たらしい。12/8

寄宿舎のコインランドリーで洗濯をする時はいちおう受付に申し込むのだが、ほとんどいないし、いても出てくるのが遅い。それで勝手に洗濯していたら、突然回転が止まってしまった。隣の学生にどうしたらいいか訊ねたら、そのうちに動きますよといって漫画を読んでいる。12/8

NY暮らしもそろそろ終わりだというのに、自堕落な私は遊び回ってばかりいて卒業制作に全然手がつかず、迷宮のような寄宿舎の中を朝から晩まで徘徊していた。12/6

原宿の木下歯科で櫻映社の石田さんに会ったら、彼の右脚が木になっていた。軍国主義のアホ莫迦右翼内閣が中国と戦端を開いたために、千駄ヶ谷小学校も、竹下通りも表参道も青山学院もミサイル攻撃で消滅していた。12/7

その事業部で新ブランドを立ち上げることになり、2人のデザイナーが新しい店舗デザインを競うことになった。しかし私が支援してやることになったデザイナーは実力も自信もなく、ただただ世界中をかけずり回ってはひいでたアイデアを盗もうと腐心しているのだった。12/4

砂漠の真ん中に生えているクヌギの樹の緑の葉っぱに、なんとコムラサキが止まっていた。私は息を凝らして近より、見事に捕まえた。親指と人差し指ではさんで蝶の胸をぐぐっと押さえると、彼女は死にもの狂いに抵抗したので私はうろたえ、それ以上力を加えることが出来ない。12/6

小久保という男に貴重なビデオ・コレクションを確保するように命じておいたのだが、ハイハイと返事ばかりはよくて実際はなにもしないずぼらで抜けめのないこの男は、案の定
致命的な過ちを犯していたのだった。12/6

この事業部組織には私を含めて2名のマネージャーしかいないのだが、面白そうな仕事はほとんどもう一人の男に集中しているので、頭に来た私は、勝手に彼の仕事をどんどんやってしまったところ、それにようやく気付いた男が、案の定血相を変えて怒鳴りこんで来た。12/3

メンズブランドのデザイナーのみどりさんは、黒を基調にした素敵なメンズウエアをデザインするのだが、必ずユニセックス&ウイメンズ用の服も作ってしまうので、経営者の私は非常に困惑しているのだった。12/2

地中海に面した港町南仏セットの海岸通りで、私は万事休していた。グラン・ササキと呼ばれた大親分は殺されたし、中親分は官憲に逮捕された。本来ならばプチ・ササキである私がそのあとめを継がねばらぬが、その大義名分が見つからないまま、私は白いポンティアックを激走させた。12/1


なにゆえに集団自衛権に異議を唱えぬ君が戦場へ行くかもしれないのに 蝶人

夢は第2の人生である 第11回 [夢]

IMG_0387.JPG

西暦2013年霜月蝶人酔生夢死幾百夜


久しぶりに音響の不気味なサントリーホールへ行ったら、背中どころかケツ丸出しの超妖艶女流ピアニスト、カティア・ブニアティシヴィリ嬢が髪振り乱して演奏していたので、超興奮した私が舞台に上がってバックからクイクイ犯したのに、平然とリストを弾いているのだった。11/30

みなし子ハッチになってしまった私の遺産を狙って、親戚の者たちがいろんな悪さや嫌がらせをしていたが、私はじっと我慢を続け、いずれは彼らを見返してやろうと虎視眈々とその機会を窺っていた。11/28

お尋ねものとして放火、窃盗、恐喝、婦女暴行などをやりたい放題の乱行を繰り広げていた私。とうとう十手のお縄を頂戴して市中引き回しの上磔となったが、なんの後悔もなかった。11/28

私を「どうしようもないデクノボウで世界一卑怯な奴!」と罵ったその最高権力者めがけて突進した私は、その憎らしい顔を靴で踏みにじり、足蹴にして川に突き落とすと、まわりの連中は、あっけに取られてお互いに顔を見合わせるのだった。11/27

ダイアナ妃ともども我々は山中で孤軍奮闘したのだが、多勢に無勢武器弾薬も尽きたので、次第に前線から後退を余儀なくされていたが、そのときどこからともなく飛来した敵弾が、しんがりの中尉の頭を貫通したので、彼の頭は柘榴のようにはじけた。11/26

いろんなメディアで短歌や俳句を募集しているというので、どんどんネットで応募していたが自宅の電話番号を間違えたまま投稿してしまったことに気が付いた。自分としてはかなり自信作だっただけに、悔しいというか、耄碌したというか眠っていながら目の前が暗くなる想いだった。11/25

マムシは危険だし好きではないが、こいつに出会うと捕まえてすぐに叩き殺すか、体調が良く元気な時は、彼奴の頭を口の中で噛み切ることにしている私だった。11/24

海に向かって開かれた細長い洞窟が、私の住居だった。「ここは狭いから、余計なものは全部捨てるんだ」と隊長がいうとおりにしていたのだが、次々に宅急便がいろんな物を送り届けたので、すぐに手狭になってしまった。11/23

私たちはその海岸で多くの魚を捕まえたが、隣の北朝鮮の倉庫には魚どころかなにも置いてなかったので、彼らを魚料理の宴に招いたのだが、誰もやってこなかった。11/22

戦争の捕獲品をラクダに乗せて帰国した私たちだったが、その配分を巡って仲間がいちゃもんをつけてきたので、私は頭にきて「それなら全部お前たちにくれてやる」と怒鳴って席をたった。11/20

展示会が終わったら好きなCDを貰っていいといわれた」とイケダノブオがいうので、私は「誰から?」とにらみをきかせ、それらのCDを全部ゼンタロウに渡して「お前が入用な奴を抜いて残りを俺に返せ」と冷たく言い放った。13/11/19

出版社の入社式の夜に出来て仕舞った知花クラクラ嬢は美術雑誌課に、私は文藝誌課に配属された。広大な編集部の真ん中にビオトープの池があり、昼休みに私が茶色い亀を放り込むと、大口を開けた鰐がたちまちそいつをかっ喰らったので、クラクラ嬢は失神してしまった。11/18

地方から出てきたばかりの私が、どの列車に乗ればいいのか東京駅で迷っていると、いかにも洗練された親切な青年が、「これに乗ってここで降りなさい。僕も一緒に途中まで行きますから」と言ってくれたが、発車しても姿が見えないと思いきや、ホームの先端で飛び乗って来た。11/17

その若い男の本当の職業は実は投資家で、「2千万の原資でたちまち2億2千万円を手にしたことがあります。もしあなたがお金に困っていたら私がなんとかしてあげますからそう言ってください」と朗らかに語るのであった。

「どんな難しい命題でも即座に読み解いてみせましょう」と自信満々で請け合うので、私が気になっていた禅の公案の意味を問うと、その男は私からかなり離れた場所にどかりと腰をおろし、無言のまま部厚い唇をゆっくりと動かすのだった。11/17

信じなければならないのにどうしても信じきれない仲間に対する乾坤一擲の犠牲的精神を発揮して、私は腹腹爆弾のスイッチをその仲間に託し、権力の中枢部へと単身突入していった。13/11/16

突然変異が起こったのか、従来の日本人が備えていた構成要素以外の遺伝子を持つ子供たちがどんどん生まれるようになってしまったので、全国民がパニック状態に陥った。11/15

街の外れの公園で野球が始まった。バッターの私が強い打球を放つと1塁手のノノヘイが球を後逸したので、私は溝蓋のベースを蹴って全速力で2塁に向かったが、いくら走ってもベースがないし2塁手もいない。仕方なく後戻りしたらノノヘイにタッチされて、アウトになってしまった。11/14

みたこともない美しく巨大な蝶が止まっていた。鮮やかな紅色の羽根を静かに動かしている彼女の胸を、右手の親指と人差し指でそっと挟んで、三角形の硫酸紙に収めようとしていると、翼の中からやはりみたこともない美しい中小2匹の蝶が飛びだした。11/14

東京駅の近くでまたしても私は迷子になってしまった。行けども行けども横須賀線のホームに辿り付けず、おまけに私は自転車に乗ったままなのである。ようやくたどり着いた改札口の若い女性の前で法外な運賃を要求された私は、ブチ切れた。11/13

私たち南軍と東軍は激戦を繰り広げていたが、武器ではなく野球の試合で決着をつけようということになり両軍18名の選手が白熱のシーソーゲームを展開したが、9回裏の最後の攻撃で私の一打が劇的な本塁打となりついに結着がついたのだった。11/12

こうして私たちが東軍を従えていた間に、強大な北軍は西軍を屈服させ、一路南下していたが、単身丸腰で敵地に乗りいれた私の無益な戦いはやめようという提言が受け入れられ、しばしの平和が訪れたのだった。11/12

授業をしようといったん教室に入った私が、忘れ物をしたので引き返して戻ってくると、そこは文化祭の準備をする学生たちで超満員だった。机の上に立ったカトリーヌ・スパーク似の長身の学生から「センセ、ちょっとこのスカートの長さを見て下さい」と頼まれたので私は赤面した。11/11

なんのこれしきの軍勢あっという間にねじ伏せてやる、といきまいて敵陣に襲いかかった我が軍であったが、圧倒的な数を頼みにしゃにむに攻めに攻めても強固な砦を落とせず、どんどん死傷者が増えていくのだった。11/11

私は甘い顔をしたドライバー、通称「甘顔ドライバー」なのだが、レースの途中でいつもガードレールに突っ込むので、協会ではわざわざ私のために「甘顔ドライバー・スイート・スポット」という特別コーナーを作ってくれた。11/9

若い女性ばかり100人くらいが住んでいる女語ケ島にでは毎月リーダーが替わってうまく運営されていた。138/11/8

私は何週間もかけて、南北ベトナムやアフリカの僻地を行き来している。はじめそれは仕事だったはずだが、いまではそれは自分の趣味というか、それなしではおのれを制御できない生き方の基軸規範のようなものになってしまい、いったいいつになったら故郷に帰れるのか見当もつかない。13/11/7

懐かしい故郷を離れ、遊撃隊の隊長として戦場に出てから永い歳月が経ったが、久しぶりに国境の南のわが牧場に戻ると、真っ先に私を見つけた愛犬ポスが猛烈な勢いで私の胸に飛び付いたので私はその場でひっくりかえってしまった。11/6

急に戦争になってしまったので、交通網も大混乱している。ようやく新横浜までやって来たのだが、ホームに止まったまま新幹線は定時になってもさっぱり動かない。もてる限りの疎開用の荷物を車内に担ぎこんだ乗客たちは、疲れ切った表情でねむりこけていた。13/11/5

1台の砲車と1個小隊を率いた私は、敵軍が占拠する皇居目指して突撃を敢行したが成功せず、敵の砲撃で壊滅的打撃を蒙りながらもなおも旺盛な闘志を燃やしていた。13/10/5

高台にある住宅街の広場の一角に住民たちが購読しているいろんな新聞が並んでいて、住民たちはそれらを手に取りながら、ゆっくり読んだり、感想を述べ合ったりしながら、日曜の朝のひとときを楽しんでいました。13/11/3

私と近所のおばさんたちが立っている道路の目の前でタクシーが停まり、お向かいの寺尾さんの奥さんが降りるときに、座席に落ちていた千円札を「忘れ物ですよ」といって運転手に渡したので、それを見ていたおばさん連中は「偉いわねえ」と感嘆していたが、私ならそうはしないなと思った。13/11/3

大阪での打ち合わせの帰り、電車の中でまたしても例の女が「あたしもうすぐロスに行くからあんたにあげてもいいよ」と囁くのだが、私はその手は桑名の焼き蛤と思いつつ急速に暮れなずむ十三の夕景を眺めていた。13/11/2

草原に火を放たれたために、黒い煙と紅蓮の炎が私に向かって押し寄せた。もうどこにも逃げ場はない。完全に退路を断たれた私は、いよいよその時が来たと覚悟を固めた。13/11/1



なにゆえにしょうぐあいしゃのむすこをもつきみがしょうぐあいしゃになってしょうぐあいしゃのははをかいぐおしているそれもしょうぐあないことなのか 蝶人


夢は第2の人生である 第10回 [夢]

IMG_0199.JPG
西暦2013年神無月蝶人酔生夢死幾百夜


同盟国アメリカの戦闘機のパイロットとの共同作戦が続いていた。私は射撃手に実弾の代わりにプラスティックの弾を渡したのだが、彼はそれに気付かないで撃ちまくっていた。13/10/31

ブルーノ・ガンツに良く似たフィンランド人が、日本からやって来た私たちを歓迎してくれた。ガンツは手招きしながら細長い通路の奥にどんどん入ってゆく。羊腸のごとく細長いレストランで彼は何を食べますかと聞いてくれたが、私は既に済ませていたのでコーヒーを飲みながら商談に乗り出した。13/10/31

広報室長の今井さんのところで打ち合わせをするんだという4人の女性を逃れ、私は市ヶ谷駅の辺でランチを取ろうと商業施設の中をうろついたが、ろくなものがなかったので、電車を待ったがいつのまにかプラットフォームがなくなっていた。13/10/30

新宿での講習会が終わった。Aさんが私とBさんを御馳走してくれる約束があったので2人でビルの外に出たが、足元を見ると私は裸足だ。仕方がないので近所で靴を買ってから合流する旨Aさんに電話しようとしたが、なぜかAさんの携帯を私が持っているのだった。13/10/29

友人が柳橋の料亭で、「皇太子のビオラソロを聴いたんだが、この人も苦労しているんだなあと思うと涙が出た」と語っていると、それまで陽気に騒いでいた女将の鹿のように大きな瞳が突然曇ったのだが、タクシーに乗ってから雅子妃だったと気付いた。13/10/29

行きはアマチュアとして人知れず乗り物に座っていたのだが、帰りはもう立派なミュジシャンとして認知されていたので、座席指定券を貰って座っていました。13/10/28

「樹冠の日」という映画を製作するために、私たちは何年間も世界中の樹木の映像を撮影していた。10/27

米国の外資系企業に勤めている昔の恋人が久しぶりに帰国して同じ部署に配属になったので、私はまた彼女と自然に情を通じるようになってしまったのだが、それがあまりにも自然なので、これは本当に同じ女性なのだろうかと何度もいぶかしんだのであった。10/26

皆で浴衣を着てシャネルの盆踊り大会に出かけたら、女医Xのなんとか嬢や作家の川上なんとか嬢が下半身を激しくくねらせながら踊りまくっていた。あらえっさっさあ!10/25

いつのまにか私たち3人はお馴染みのパリのカンブラン広場にやって来ていて、お腹が空いたのでどこかレストランにでも入ろう、ということになった。先頭の女性が狭い横長の日本料理屋に入っていったので後を追おうとするのだが、それには先客の一列になった食膳の隙間の上を歩かねばならなかった。13/10/25

家が完成したというので現地へ行くと、業者が「やっと1階が出来ました。2階と3階はこれから見積もってお金を頂戴してから工事にかかります」というので驚いた。こんな話は聞いたことが無い。そもそも私は発注すらしたことがない。13/10/24

大学で晴れて「てなもんや文化論」を講ずることになったのだが、英米文学の専門莫迦講座を持つ先輩たちが私の教室に押し掛けてきて悪さや嫌がらせをするので、私はノイローゼになり、奥歯と顎が痛むようになってしまった。13/10/23

私のお陰で、暴力団の急襲から1度のみならず2度まで危ういところで助かった女は、そのお礼をするつもりかバスの後部座席に私を押し付け、両腕でしっかり抱きしめて接唇したが、その蛇のような冷たさに私は慄いた。13/10/22

夢の中で夢を見ていると、脳内に「1時脳」「2時脳」「3時脳」というふうにその時間が来ると点灯する枠があって、その枠内に自分が見ている夢の内容が同時再生されているのだった。13/10/21

社内の派閥抗争にいつのまにか巻き込まれていた私。副社長の娘とも、専務の娘とも情を交わしあっていたために、にっちもさっちもいかない雪隠詰めの状態となり、しばらく会社に出ないで町をうろついていた。13/10/20

軍隊で「行軍中に脱糞した奴のパンツを貰い下げてこい」と上等兵に命じられ、新兵の私が洗濯場に行くと、そこは広大な糞尿の池になっていて、猛烈な悪臭が漂う水面に無数のパンツが浮かんでいるのだった。13/10/19

岸本歯科へ行って奥歯が痛いからもうブリッジを全部はずしてくださいと頼み、その通りにしてもらったら嘘のように痛みが消えた。13/10/18

北朝鮮国籍を偽らず本邦で活躍してきたデザイナーのA氏が、古希を契機に現役引退すると宣言したので、彼のラストショーをコンベンションセンターに観に行ったら、同年齢の日本人女性デザイナーのBさんが、「じゃあ私はどうししたらいいの?」と聞くので、「そのまま行ける所まで行けば」と助言した。13/10/17

かつて私の恋人だった女性が、文机の奥に全裸でその身を隠しているのは、よほど酷い目にあわされたのだろう。私がそっと両腕を差し伸べ、ゆっくり体を引き寄せるとはじめは抵抗していた彼女も抵抗するのを諦めたように私の胸に飛び込んできて、まるで蛸のように両手両足でしがみついてきた。13/10/16

いつも高論卓説をSNSで書き飛ばしている男とたまたま知り合いになったが、その文章と同じかそれ以上に高慢ちきな人物だったので、「なんのおのれが櫻かな」というメッセージを送って絶縁したつもりでいたのに、彼奴はその意味も分からず、ひたすら未練がましいメールを寄越すのだった。13/10/15

頃は明治。バイエルンからやって来た男が日本滞在の最後の夜に、私が貸した弾でイノシシを猟銃で撃ったが斃れなかったので、彼は別の弾を私に返して横浜から帰国した。10/14

女社長の甘言に騙されて巨大な玩具の競技場に無理矢理連れ込まれた私は、その販売促進政策を下問されたので、早速答えようとして彼女の顔を見たら、自民党の超右翼の政調会長そっくりだったので、急激なめまいと嘔吐に襲われてその場でしゃがみこんでしまった。10/14

謎の美貌の女性によって完全なMに仕立て上げられた私は、彼女の奴隷となって日夜奉仕を続けていたのだが、その女があろうことか私の宿敵のマッチョな男に犯されてSからМに変身したことを知り、なんとかその屈辱的な豚のような日常から逃れる機会を窺っていた。10/14

ある日彼らの性愛の決定的瞬間を盗撮することに成功した私は、その卑猥な動画を武器に女を恐喝して暴力で意の儘にし、逆に女を隷属させただけでなく、彼女に命じてそのマッチョな男を罠にかけ、完全なSだったはずの男を完全なM奴隷に転換させたのだった。10/14

ワンマン社長の命令で全社員がバス借り切りのゴルフ旅行にでかけた。私はゴルフなんてできないのだが、みんなが楽しそうにしているので見物していたら、突然暴風雨がやって来てゴルフ大会は中止になったのだが、ホテルで食事をしているうちにまた快晴となった。10/13

横須賀線があまりにも混雑しているため、ドアから潜り込めなくなった私は、思い切って最後尾に両手でぶら下がり、少年時代に帰った気分で楽しく鎌倉駅に到着することができた。13/10/12

市長になった私は側近の勧めるがままに「売上3割拡大計画」の先頭に立って毎日駅前に置いたみかん箱の上から声を嗄らして「もう1品買い上げ運動」の旗を振ったのだが、誰も見向きもしなかった。13/10/10

大学の老朽校舎の中でトイレを探しているのだが、なかなか見つからない。「こっちです」という学生の後を追うと、彼が壁の中に潜りこんだのでその後から潜ったとたん、私は黄金いろの魚に変身して水の中を泳いでいるのだった。

私はこのたびの世界ダンス選手権では、絶対優勝してやろうとひそかに猛練習を続けていた。どのコーチも私を指導などしてくれなかったが、私は見事に栄冠を勝ち取ることに成功したのだった。13/10/8

マガジンハウスが、ライター志望者に対して朝3時に銀座の本社に来るように命じたので、その時間に行ってみると、何百人もの若者たちが押すな押すなの盛況だったので、ロートルの私は、首をうなだれてとぼとぼ元来た道を引き返したのだった。13/10/7

上司の川村さんの依頼で私が押さえている会議室に、誰かが勝手に入ってお茶や煙草をのんだりしている。私は頭に来たが、そこでずっと見張っているわけにもいかないので、終日仕事が手につかなかった。13/10/6

夢の中で私は「天の松原」で終わる和歌を読みあげながら、おや、この歌には3つも掛け言葉があるぞ、と気付いたので、夢から覚めたら「逆引き広辞苑」でよく調べてみようと思って、すやすや寝りこけてしまったのだった。13/10/5

偏執狂の女に追われた私は、高橋君が運転するオート三輪に乗り込んだが、そこには彼の細君や娘や情婦もぎゅうぎゅう詰めに詰め込まれたうえに、高橋君の運転が滅茶苦茶なので、その間ぐっと噛みしめていた私の歯は6本がかけおち、うち4本は炭になっていた。13/10/4

撮影を任された新米マネージャーの私は、カメラを持った男に話しかけて細部の打ち合わせを始めたが、どうも要領を得ない。モデルもクライアントもやってきて、「いよいよ撮影だ」という段になって、初めて私が打ち合わせしていた男が、ただカメラを持って現場にいた人物だとわかった。

久しぶりに渋谷のデパートでぶらついていると、突然猪八戒のような男が出てきて、そこいらの客を恫喝しながら金品を強奪している。これはヤバイと思った私は、全速力でフロアを駆け抜けて外へ出ようとした。13/10/2


なにゆえに葉書を52円に上げるのか歌壇への投稿をやめさせるため 蝶人


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。