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Les Petits Riens ~三十六年もひと昔 [エッセイ]




蝶人五風十雨録第10回「一月三十日」の巻―そんな私のここだけの話 op.225


1981年1月30日 金曜
夕方サンフランシスコ発JAL001便にて成田着。重い荷物をポーターに運ばせタクシーで鎌倉まで。やれやれと一安心。都合半月の海外旅行なりき。

1982年1月30日 土曜
土曜出勤。ルック雑誌広告。アデンダの大きなポスターをどうやってコピーしていいか分からない。

1983年1月30日 日曜 夜に雨
久しぶりに眠る。自閉症児親の会の会合をキャンセル。相模原の会員のみに電話連絡。たまには休まないと身体がもたない。息子たちと遊ぶ。

1984年1月30日 月曜 はれ
キリンビール訪問。だいたいそんなものよね。ベイヒルゴルフ企画で富士ゼロックスの小林陽太郎氏の出演許可をもらう。

1985年1月30日 水曜
朝パリEHPよりゴダールが撮影を完了したと連絡あり。アニエスbでf500買い物。夜駐在所のスタッフと会食。サル・プレイエルにてラベック姉妹のコンサート。

1986年1月30日 木曜 はれ
三陽商会長谷川氏、博報堂、関谷氏、小学館中川氏、島本氏。夜神谷氏と串花へ。

1987年1月30日 金曜 はれ あたたか
8時半日比谷スカラ座にてデ・ニーロの「ミッション」。86年のカンヌでグランプリだというがやや意外。G.I.Tにて日経矢田氏と「大コクトー展」の打ち合わせ。

1988年1月30日 土曜 はれ 
ゆっくり起きてミラノへ発つ高市氏の自宅兼事務所に電話すれど終日繋がらず。「チャネラー」取材後小峰氏と飲む。松竹第2にてベルイマンの「シークレット・オブ・ウーマン」試写。女の生を重厚に描いた傑作。光と影が美しい。

1989年1月30日 月曜 
プレス伊藤君と話す。努力家なり。IN秋冬構想会。

1990年1月30日 火曜 くもり
大阪支店にて11時から午後7時まで店長会議。山口課長と新任営業担当のお披露目。京高フェア打ち合わせ。私は「この日、この空、この私」「体と金と男」という話をしたがあんまり説経臭のする演説は良くない。夜神戸のグリーンホテル泊。

1991年1月30日 水曜 
オレンジページ田坂さん来社。パスタ・パスタで昼食。「ゼロシティ」「アンポンで何が裁かれたか」をみる。

1992年1月30日 木曜 
本日より米国出張。ボストンは古い英国の面影を残す町でJFKの生家や寄宿舎もあった。学生街のカジュアルなショップを見学。夜はウエルカムパーテーがあった。

1993年1月30日 土曜 はれ
会社休みてCD三昧。妻は味噌作りや心身の疲労困憊で臥せっている。

1994年1月30日 日曜 はれ
ボードレールの人生はわずか46年であった。次男東京造形大の1次合格。

1995年1月30日 月曜 晴
第1回の全員宣伝会議。だいぶ人が減った。文春の「マルコポーロ」がアウシュビッツにガス室はなかったという記事で廃刊決定。愚かなり。

1996年1月30日 火曜 はれ
1792年に再建されたべネツィアのラ・フェニーチエ劇場が失火のために全焼。残念なことなり。仏シラク大統領、核実験の終了を声明。

1997年1月30日 木曜 晴
去年より今年の方が仕事は楽になった。次男は自動車免許を取るための合宿に出かける。

1998年1月30日 金曜 曇
会社は出来るだけサボるようにしている。午後新橋TCCにてMIUMIUの出る映画を観た。横浜SSDにてアルゲリッチ、マイスキーのベートーヴェンのチエロソナタ集買う。ムク夜鳴きす。

1999年1月30日 土曜 晴れたり曇ったり 寒
会社休む。妻は余命2、3か月と宣告された鶴見さんに「手当て」しに行く。ムクと神社散歩。米バークシャー社から1万4千円の引き落とし請求書来る。

2000年1月30日 日曜 晴 暖4月のごとし ○
母と4人で宇田さんチ経由図書館。梅はどこかで咲いているに違いない。午後五反野マンションの広告コピーを書いているとようやくフリーになった気分が出てきて嬉しい。

2001年1月30日 火曜 晴 ○
不調。元気なし。妻やや回復すれどパソコン具合悪し。

2002年1月30日 水曜 晴 
小泉首相が田中外相と野上次官を更迭。鈴木宗男は議運委員長を辞任。在任9ヶ月、ああいう奴でもいなくなると寂しいなあ。サライを買う。果たしてこれから仕事はあるのだろうか。

2003年1月30日 木曜 はれ
妻と義母、早朝より長野の親戚の葬儀に出かける。余、ようやく床上げ。ベルトリッチの「暗殺の森」みる。ドミニク・サンダは可哀想。トランティニアン良し。

2004年1月30日 金曜 晴 はれ
文化講義3連発。学生の新宿都庁レポートを読むとなかなか面白い。しかしコンテンポラリー講座は今日で最終回となった。困って執行さんに相談すると、織田学園というのを紹介しようといってくれる。まことに有難い恩人である。

2005年1月30日 日曜 はれ 暖
3人で 熊野神社へ行く。長男は岸本歯科で痛がったので、「痛かったら先生に痛いと言いなさい」というと「もう岸本歯科は行きません。チエ先生んちへ行きます」を連発。余波で箱根行きも中止となった。

2006年1月30日 月曜 晴 
文化最後から2番目の授業。浪間先生は週3日で7コマ持っていて、今度アンコールワットへ行くそうだ。羨ましい。新橋キムラヤでグルダのベートーヴェンソナタ全集。大船ユニクロでジャケットとパンツを買う。5千円なり。

2007年1月30日 火曜 晴 
布団干す。果樹園へ行き写真を撮る。文芸社の仕事が来ないので頭にくる。

2008年1月30日 水曜 晴 暖
妻は緑の会で北条時政邸へ行った。ずっとドイツ人が保存していたのに、次に買った日本人が売りに出したという。どこからも仕事の電話なし。

2009年1月30日 金曜 雨
終日雨降る。今日も文芸社は来なかった。やむを得ず山口氏の仕事を下請けでやることにす。孫請けなり。

2010年1月30日 土曜 晴 
妻と太刀洗を散歩。お向かいのお嫁さんと会う。息子を中学校に入れるためにまた戻ってきたそうだ。疲れた顔なりき。

2011年1月30日 日曜 晴 初雪降れり
中央公民館の鎌響室内楽演奏会へ行ったが満員札止めのため帰宅し、CDを聴く。ハイドンの五度聴き終わり春の雪

2012年1月30日 月曜 晴れ
文化最終講義。これでたぶん学校は終りになるはず。

2013年1月30日 水曜 晴
妻と味噌を作る。午後ヤマダ電機、図書館。長男の携帯を解約す。安岡章太郎92歳で死す。

2014年1月30日 木曜 曇りのち小雨
ひさしぶりに栄プールで9往復す。25m×2×9=450mなり。妻は350m。

2015年1月30日 金曜 雨
関東は雪になりしが、鎌倉は降らず。

2016年1月30日 土曜 冷雨
「金目」の取り扱いを誤って辞職した甘利経済再生相の後任が、同じ「金目」発言で防災相を去った石原ジュニアとは、自民党も人材払底なり。日銀の窮余の一策「マイナス金利」導入をみても明らかにアベノミクスは破綻している。中国の景気後退と原油安で頼みの株式市況も動揺恆ならず、民草の誰ひとり景気が良くなったとは思っていないのである。内政の不安を北朝鮮のミサイルや中国の海洋攻勢を安保危機にすり替え、憲法破壊をもくろむ安倍政治に明るい未来への展望はないだろう。
ようやく冷雨が上がったようだ。
それにしても、私はいつになったら今井義行さんのような物凄い詩を書けるのだろう? いや、「今井義行さんのような」ではない。今井義行さんのように、自分らしい、自分でなければ書けない詩を、だ。

       ハスキルのピアノに抱かれる冷雨哉 蝶人

 あの病院はお前の肩を「かしわ」のように刻みやがってと祖父言えり 蝶人


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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第31回 [エッセイ]



西暦2016年睦月蝶人狂言畸語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op.222


時の経つのも忘れて往年の名画を鑑賞していたら突然遠い地方の震度3の地震速報が一度といわず二度も三度も流され、もはや映画どころの騒ぎではなくなってリモコンでスイッチを切ってからもどこへも持って行き場のない腹立たしさにうち震える。12/25

どんな映画も芝居もご都合主義で作られているが、官邸が自作自演する安倍蚤糞政治ほど手前味噌のものはあるまい。12/27

此の世では「万物が流転する」のであって、「最終的かつ不可逆的」なるものは何ひとつ存在しない。

セリーヌ・ディオンが「愛の賛歌」を唄っていたが、はじめから終りまで音程が狂っていて、半音ほどずり下がっていたが、彼女って音痴なのかしら。

ローラとか森泉がテレビで喋っているのを見聴きしていると、この人たちは莫迦ではないかと思う時があるのだが、これは莫迦を装っているのか、それともやっぱりほんとの莫迦なのか、いったいどっちなのだろう?12/30

このたび北朝鮮が「水爆」を爆発させたのは、米国などから「自主権」を守るためだ、と主張している。では我が国は、なにを打ち上げてそれを獲得するのか。1/7

オムレツを作るためにはまず卵を割らなければならないとイヴ・シャンピに言われたので、岸恵子は「おとうと」の撮影が終わるや否やパリに飛んで行ったそうだが、うまく口説いたものだ。

「これは僕の蝶だ。僕のオオイチモンジだ」と田淵行雄は叫んでいます。福岡伸一

テレ朝「報ステ」の古舘伊知郎に続く、NHKの「クロ現」の国谷裕子キャスター、TBS「NEWS23」の岸井アンカー、の降板こそ、安倍蚤糞による露骨な言論弾圧に他ならない。1/8

山田美也子の案内でなかったから聴いてみたが、山田和樹指揮N響、いったいどこがいいいのかさっぱり分からん。この番組ではどの解説者も、どんな下らぬ演奏でも、いつも絶賛する。恥を知れ!1/9

NHK-FMの「リサイタル・ノヴァ」、いつもながら本田聖嗣の司会が煩い。新しい年になったから「弾き語りフォーユー」の小原孝と一緒に消えてもらいたいのだが。あ、その前に籾井、お前だよ、お前。1/10

ピエール・ブーレーズ死す90歳。実演に接したことはないが、いつも鋭いメスで患者の急所をズバズバ切開する外科医のような棒で峻厳で冷徹な音楽をやっていたが、本人はあれで楽しかったんだろうか。自作自演を聴いても私とは遂に無縁の音を奏でている「宙外の人」だった。1/11

どうしても安倍蚤糞をやっつけるんだという強い覚悟と冷静な戦略が無い限り、民主党をはじめとする野党は、夏の参院選に勝利できないだろう。1/12

鎌倉京都を新幹線で日帰りすると大人1人27160円もするんだ。びっくりぽん。高えなあ。15000円くらいかと思っていたよ。まるで浦島太郎だなあ。 1/13

現代短歌の改革は、1987年俵万智の「サラダ記念日」よりも一足早く、1969年の大橋巨泉の「みじかびの きゃぷりてぃとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」からはじまった。1/13

SMAPの所属事務所がどうなろうが、私の知ったことではないが、そんなことでラアラアラアラ目の色を変えて朝から晩まで騒げる人が、ある意味でじつに羨ましい。1/14

今朝の「天声人語」に敬愛する歌人奥村晃作氏の代表歌が紹介されていた。
「次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く」
アメリカの画家エドワード・ホッパーの代表作「ナイト・ホークス」にも通底する現代人の孤独と沈鬱が胸をうつ。1/15

おのが仕合わせの多くは周囲の人々の有形無形、精神的肉体的な献身と犠牲によって形作られていることを思うべきである。1/18

明治生まれの人が一人でも生きているうちは、明治時代は死滅していない。1/19

民主党の岡田選手が、左右両サイドの野党に対して本当の「政治力」を発揮して反自公統一戦線を結成しないかぎり、今度の参院選で野党は勝利できないだろう。1/20

「一点突破、全面展開」はかつて私たちの行き方生の作法であったが、いまやそれは悪辣非道な安倍蚤糞にとって代わられている。全国の学友諸君、いまこそ「一点突破、全面展開」を奪還せよ!なんちゃって1/21

エットーレ・スコラ84にしてローマの病院で死す。1930年代のムソリーニの時代のファシズムの恐怖を描いた「特別な一日」を肌に粟が生じるようなゾクリとした感覚と共思い出した。きっとあれが、もうすぐこの国にやってくるのだろう。1/21

世界中で激化する富の偏在。選ばれた62人の金持ちが、36億人の貧乏人と同じ額のお金を持っている。1/22

政局が動揺して野党がいき巻いているが、なんのことはないそれは「週刊文春」といういち週刊誌のスクープのせいであって、野党の力ではさらさらないことを肝に銘じるべきだ。1/24

10年振りに日本人の相撲取りが優勝したのは、じつにめでたい。次場所は琴奨菊の大活躍をまざまざと眼に焼き付けた万年駄目大関稀勢の里の奮起に期待したい。1/25

「地球に優しく」などとほざいていた連中も、3・11以後は次第にうなだれて口をつぐむようになり、いまでは環境もエコも忘れて白痴のように唄い踊っているようだ。1/26

久しぶりに「矜持」という言葉を聞いた。ほとんどの政治家にはそれがない。1/29

虎屋の羊羹の隣に入っていた50万円は「これは何かのお間違いでは?」と糺して受け取らない、すぐ返す、のが民草の「適正な」流儀 1/30

1月27日の夜、NHKのFMで聴いたセル&クリーブランド管弦楽団のシューベルトの最後の交響曲は前代未聞の素晴らしい演奏だった。1965年アムステルダムコンセルトヘボウでのライブだったが、あの稀代の難曲をかくも見事に振りおおせるとは!切に再放送を望む。1/30

ジャック・リベット、パリに死す。87歳。最後の短編映画にはジェーン・バーキンが出演したらしいが、これでヌーヴェルヴァーグの生き残りはゴダールくらいになった。1/31


とらやのやうかんのとなりにはいつていた50まんえんはうけとらないのがてきせいなしより 蝶人


すべての言葉は通り過ぎてゆく 第30回 [エッセイ]

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西暦2015年師走蝶人狂言畸語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op.221



生協の配達の女性が「今日で仕事を辞めます」と告げた。すべてに別れというものがある。12/1

決められた原稿ばかり読み続けているアナウンサーが、公共の電波を通じてではあるものの、些細な私事や、常日頃自分が胸中の奥底に秘めていた感懐を吐露することは、年に一度くらいは許されてもよいのではないだろうか。12/2

朝日新聞の同じぺージに連載されている沢木耕太郎の「春に散る」の下らなさと、大昔の漱石の「門」の面白さを見せつけられるにつけ、小説の進歩などないのだと思わせられる。12/3

思うに新聞小説には、本編の「大きな山」のほかに日々掲載される原稿の中にも「小さな山」がなければならない。「それから」でアマチュア作家を脱してプロフェッショナルに変身した漱石には、そのことが分かっていたが、沢木選手は呑みこみが悪いようだ。12/4

いくら節約を旨としていても、冠婚葬祭や突然の事故や病気や手術や入院や療養費、あまつさえ不条理な税金のふんだくりを強要されるので、結局この世ではいくらあってもお金が足らないということになる。12/5

年賀状だって毎年もうやめにしようと思うのだが、こちらがやめても向こうから来れば書かざるを得ないし、これが浮世の義理人情だと思いながら、今年もそして来年も続けていくのだろう、わが人世のごとく。12/6

とても大事だと思っていた件に限って、度忘れしたり無意識に棚上げしていたりする。人世なんて、あっという間に流れ去ってしまうというのに。12/7

御大層な大理論は私には無用の長物だ。ふと流れてきたひとふしの調べ、ふと小耳にはさんだ片言隻句に激しく心惹かれるのである。12/7

憲法9条の戦争放棄の規定は、同時進行していた国連の理想実現への努力とわかちがたく結びついていたのでした。日本は世界に先んじてモラル・リーダーシップを発揮するのだと46年2月21日にマッカーサーは幣原首相に述べていたのです。加藤典洋「戦後入門」12/9

安保法制については自民の言いなりになっておきながら、目糞鼻糞の軽減税制について赤ん坊のようにグジャグジャいちゃもんをつける。公明党ちゅうのはどうしようもない政党だな。12/9

そもそも「維新」なんて名前がダサすぎる。こういう名前を有難がり、こういう名前が象徴するなにやらきな臭い思藻のようなものに慕い寄ってゆく政治家の、時代錯誤の知性と感性からは、もはやなにも期待できないな。12/9

同じ局でも、アナウンサーによって金星探測機「あかつき」のアクセントがちがう。最初は「か」を強く上げていたのに、途中から4文字を同じ高さでフラットに発音するように転向したアナウンサーもいた。ま、どうでもいいようなものではあるが、どっちが正しいのだろうね。12/9

晩年にリヒテルがイタリアの寒村で演奏したバッハを聴いていると、人世と音楽がひとつに溶け合った枯淡の境地がゆくりなく伝わってきて、ああ、これでいいのだ、という気持ちになってくる。12/12

軽減税率を巡る自公のボス交のおかげで、彼奴等が公約していた「社会福祉への手厚い配慮」などは完璧に闇に消え去り、その代わり増税に次ぐ新たな増税が浮上してくるというわけだ。消え去るべきは自公だ。12/13

「自虐史観」批判と「自賛史観」肯定は謝罪および謝罪要求の回避という1枚のコインの表と裏なのです。加藤典洋「戦後入門」12/14

障害基礎年金を受け取っている精神・知的・発達障害者のうち、1割に当たる約7万9千人が、来年度から支給停止や支給減額になる恐れがあるそうだ。自公民草テロ政権は、富裕層を限りなく優遇し、返す刀で貧民老人病人障碍者を限りなく抑圧しようとしている。12/15

対米従属を脱し、国民本位の政治的自由を回復しなければなりません。つまり完全な独立国家となることが必要です。しかしそれは一国的ナショナリズムのためではない。インターナショナリズム、国際主義を通じての「誇りづくり」がここでの理念的基軸なのです。加藤典洋「戦後入門」12/14

斉藤斎藤、蘇我倉山田石川麻呂、クルム伊達公子、ヨハンネス・クリュソストムス・ウォルフガングス・テオフィルス・モザル。夫の姓か妻の姓かの二者択一でなく、その両方を取り込み複合する重層的な第三姓を創造することが、自由な個人が作る新しく自由な家族にふさわしい。12/18

定義不能な、しかし大臼歯に潜む虫歯のように、明らかに急速に進行しているファシズムの暴威が、われらの市民社会の土台骨を揺さぶり、その地下茎を腐敗させている陰々滅滅たる軋みと震動が聞こえてくる。12/19

それにしても、芸能人やタレントやらモデルに踊りながら歌を唄わせ、商品名を連呼させればそれで一丁上がり、と考えている企業や広告製作会社やクリエイターの知性と感性の劣化は、そら恐ろしいばかりだ。12/20

自民党に政治献金を始めた銀行なんかに、おいらのなけなしの現金を預けたくないな。12/20

「どん兵衛」とかインスタントラーメンを食べるとまずくて軽い吐き気を覚えるが、中国や東南アジアの人たちもようやくそれに気付き、(ずっと以前から気付いていてもお金がないから仕方なく食べ続けていたのだ)、ちゃんとした普通のラーメンに触手を伸ばすようになったそうだが、こういうのを食の進歩というのだろう。12/20

27年間同じ場所に立ち続けた天皇が、いつのまにやら戦後民主政治の最大の擁護者として、左岸に突きだす灯台の一隅を照らす光になろうとは、いったい誰が予想しただろうか。12/23

クルト・マズア死す、88歳。この指揮者はドイツ統一の旗頭として名をあげ、NYフィルのシェフになったりしたが、肝心の音楽ではメンデルスゾーンの交響曲録音以外ではあまり記憶に残っていないなあ。12/24

国の赤字が1000兆円を突破しているのに、安倍蚤糞はそこにはまるでメスを入れず、膨大な金を外国にばら撒いたり、軍事費を限りなく膨張させたり、軽減税率で公明党や新聞社の御機嫌を取ってぬかりなく参院選対策をしながら、次世代につけを回している。12/25

降誕日の朝、異なる3か所で光と戯れる4頭の紫小灰蝶(ムラサキシジミ)を見た。幼虫の食草は常緑のカシ類。成虫で越冬するのだが、無事に春まで生き延びてほしいと願わずにはいられない。12/25

さて問題です。ナチの手先になってフランス国民を裏切りながら20世紀のふぁちょんを革命した女ココ・シャネル。その罪と功績はどちらが大きいでしょう?12/25

ユニクロのパンツはわりあい簡単にジッパーが故障する。あれは左翼と右翼が呵責のない非妥協的な戦いを開始してしまい、第三者機関が上を下への大騒ぎをして調停不能でもはや誰も身動きできなくなったせいだ。12/25

善き人の善き詩に出会うと、自分も善き詩を書きたくなるが、そうではないと詩なんか全然書きたくなくなる。12/24

「いいね」を押すのは単なる礼儀や無自覚な反射的行為であったとしても、その心根の奥に背後にあるのは好意の贈与であるから、それが分かった人は、その贈与をいいねで返す。12/27


  死に急ぐこととも知らず益荒男はひたすらけなげに生き急ぐなり 蝶人

Les Petits Riens ~三十五年もひと昔 [エッセイ]



蝶人五風十雨録第8回「十一月三十日」の巻&バガテル―そんな私のここだけの話op.220


1982年11月30日 火曜 

子規を読む。後世に何事か残さざるべからずという気持ちになるね。神奈川県域自閉症児者親の会の運営について悩む。今朝台風で立ち往生す。

1983年11月30日 水曜 
11時半、ポプメディア蛇川氏。OCCAの企画書を書く。

1984年11月30日 金曜 はれ
朝日有賀、放送出版伊藤、テイチク山口氏と渋谷クロコダイルで令たえ子ライヴ。イエイエガール選考会。

1985年11月30日 土曜 はれ
ゆっくり休む。パウル・クレー展みる。子供のようなデッサン。1940年没。

1986年11月30日 日曜 はれ
ジェーン・バーキンはキディランドでお買いもの。夜音響スタジオにてグリーグのペールギュントの「ソルヴェーグの歌」を管弦楽とピアノの両方で録る。久しぶりに自宅でくつろぎ「キネマ旬報」の原稿を書く。

1987年11月30日 月曜 
電通にてINメディア打ち合わせ。「天国のバンサン」はキューバ革命を生き長らえた貴族一家の悲喜劇。獣の映画だ。ラテンの血を感じる。「メロ」はアラン・レネの大恋愛映画で泣かせる。六本木トリスタンで小学館パーティ。ポスト鈴木氏、ダイム中村、タッチ島本、GORO遠藤氏。

1988年11月30日 水曜 くもり後雨
やはり綾部は寒くて暗い。雨も降る。中島牧師主宰で午後7時から自宅でプロテスタントの十日祭挙行。阿部、高橋姉が亡き祖母の思い出を語ると、ふくいちのおばさんが頷いている。出席およそ五十名。昼、明田の甥御さんが東京からみえた。

1989年11月30日 木曜 快晴
LAにてテレビCMの撮影。

1990年11月30日 金曜 雨
台風27号来襲。珍しきことなり。東京店長会。「アタメ」はくだらぬスペイン映画。2万5千円のウールジャケット買う。

1991年11月30日 土曜 はれのちくもり
昨夜すごい歯痛。4時に抗生物質飲み、朝10時に木下歯科に電話して東京へ。レントゲン撮影の結果、歯そのものの痛みではないといわれる。

1992年11月30日 月曜 
会社は嫌だ。電通、酒井、小坂でJ.C必販計画を考える。

1993年11月30日 火曜 くもり
在NYJ.C山本のレターを読むと嫌になる。こちらのトリックを見抜いてきたのだ。やはりつけは払わねばならぬか。おまけに松山出張の支払いが1万8千円以上になったので、前田さんに1万円借りた。気持ちは暗い。

1994年11月30日 水曜 はれ
昼明治神宮に詣で内苑を散策す。紅葉もう一歩。池に白鷺、鴨泳ぐ。午後スタッフ構想を上司に示す。

1995年11月30日 木曜 はれ
疲れつつ生き、疲れながら死んでいく。それが日本人の、私の生涯。あっという間に1年経った。

1996年11月30日 土曜 くもり
佐藤病院にて胃カメラを飲む。異常なし。メトのリングビデオみる。素晴らしい。

1997年11月30日 日曜 晴
昨夜嵐となる。義父死に瀕す。朝目白山医師診察。瞳孔開きっぱなしで腕ぶらぶらなり。呼べば少しく聴こえる模様。

1998年11月30日 月曜 くもりのち雨
室田氏がやって来て2千万2月払いにならんかという。伊藤忠の製作費を繰り延べるしかなし。夜久しぶりに雨。耕、今日からゆりの木で短期入所。

1999年11月30日 火曜 晴
三菱東京銀行にてフラン紙幣を1万5千円に両替し、門前仲町ドコモショップにて携帯ファミリー割引を申し込む。本日退職届の最終日なり。

2000年11月30日 木曜 はれ
久しぶりに吉祥寺の専門学校二葉にて世界状況論を2時間にわたってぶつと、案の定みなしらける。新橋でリング14枚組CDとシューベルトを買う。1枚200円也。

2001年11月30日 金曜 はれ
二葉年内最終講義。銀座資生堂ワードで岩合、海野両カメラマン談義。失業率5.4%、男子5.8%となる。

2002年11月30日 土曜 くもり
資生堂ワードのやり直し版を送信す。妻が「息が詰まる、もう死んでも構わない」という。可哀想なり。

2003年11月30日 日曜 小雨
卓、午前、健午後去る。妻疲労困憊。余、茅ヶ崎文化会館にて田園と火の鳥を聴く。

2004年11月30日 火曜 くもり
青砥橋の「青砥」にて義父の7周忌の会食。

2005年11月30日 水曜 はれ
文芸社の文字のデジタル化を親戚の宏さんにお願いするため、1日がかりで元原稿をファックスする。

2006年11月30日 木曜 くもり 寒 ○
文化の講義の準備をする。弟と妹に、長男が通っている施設のカレンダーを送る。母、妻と3人で太刀洗を散歩。

2007年11月30日 金曜 はれ
久しぶりの好天なり。長男を誘ったが路線図を書くといって断られたので、妻と2人で太刀洗を散歩。結局路線図は完成しなかった。

2008年11月30日 日曜 晴
風もなく好天。長男と熊野神社巡り。昨日行けなかった開墾地の笹の林を探検す。夜次男帰宅。絵は売れなかったそうだ。

2009年11月30日 月曜 くもり 
文化で屋外広告について講義す。散髪する。

2010年11月30日 火曜 晴れたり曇ったり
映画などをみては、ブログに感想など書く。朝鮮半島の緊張は続いている。

2011年11月30日 水曜 晴れたり曇ったり
布団を干す。今日も文芸社の仕事は来なかった。

2012年11月30日 水曜 くもり
長男と3人で、短期入所の福田の里から帰る。耕は依然としてびっこをひいている。党首討論でアホ慎太郎が阿呆なことをほざいている。

2013年11月30日 土曜 はれ
たまには運動せねば、ということで久しぶりに熊野神社まで散歩する。今夜6時から次男の「一夜限りの似顔絵描き」パフォーマンスあり。

2014年11月30日 日曜 くもり
十二所に栄子さん来たりてホーミング桑名君と改修打ち合わせ。

2015年11月30日 月曜 くもり
浄明寺の郵便局でお金をおろし、藤沢で小田急の回数券とコーヒー豆を買い、大船駅で千円寿司を立ち食いして帰宅し、来年1月の弟の娘の結婚式に着ていく服を試着する。シャツとネクタイを新たに買わねばなるまい。水木しげる、心筋梗塞にて93歳で没す。おそらくわれも同じ病で死ぬべし。

 
          奥歯痛が世界を圧し霜月尽 蝶人

 詩は鈴木志郎康短歌は奥村晃作私叔する二人を得たるわが晩年の仕合わせ 蝶人

すべての言葉は通り過ぎてゆく 第29回 [エッセイ]

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西暦2015年霜月蝶人狂言畸語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op.219


この頃私は、私の生命活動をば限りなく貴重なものと感じ、その微かなゆらぎさえもこよなく慈しんでいるのです。11/1

野党の議員125名が、連名で臨時国会の開催を要求したにもかかわらず、安倍蚤糞は無視している。これは憲法第53条への違反である。憲法に違反し、その定めに従わないものは重罪に処せられなければならない。11/2

「書く」と「考える」は同じことではない。保坂和志「遠い触覚」11/3

管理が障がい者を殺す。長く施設で暮らしている利用者の中には、薬漬けにされて目も体も死人になっている人もいる。11/4

福祉施設の職員さん、いろいろ御面倒をお掛けしますが、お願いだから利用者を自分の都合で「管理」しないようにしてください。もっと利用者の自由と個性を尊重してほしいのです。11/4

てめえが米国の核におんぶにだっこされているくせに、国連でやれ広島だの長崎だの核廃絶だのとアピールしたって、誰も真面目に取りあってはくれないわな。11/5

考えることはわかることだと一般に考えられている。しかしそれは「考える」のすべてではない。保坂和志「遠い触覚」11/6

いつまでもそれについて考えられること、それについて語り続けられるものこそ楽しい。考える時間は終わらないでほしい。保坂和志「遠い触覚」

作家には遠いずっと先にあるイメージ(「遠触」)があるのだが、多くの人はすぐに「遠触」を忘れ、自分の作るものを作品として完成度の高いものにして当座の評価を得ることで満足するようになってしまう。保坂和志「遠い触覚」

ドン・キホーテの蔵書は「百冊以上」としか書かれていない。保坂和志「遠い触覚」

一つの小説や映画についてあっさりと的確なことを語って、次の小説や映画へさっさと移っていくことは思考の機能不全でしかない。保坂和志「遠い触覚」

(小説や映画について)的確なことを語ったと思うその浅はかさは、いずれその人の思考や人生を貧しくすることになるはずだ。保坂和志「遠い触覚」

「お父さんはいったい、あたしと猫のどっちが大事なの?」
「それはおまえももっと猫を好きになればいいんだ。」保坂和志「遠い触覚」

人が思考するやいなやすべてが神秘となる。そして思考すればするほどさらに神秘は深まるのです。アントナン・アルトーby保坂和志「遠い触覚」

「何かを言う」のでなく、「何が言いたいのかわからないが、とにかく何かが伝わってきた」を目指すこと。保坂和志「遠い触覚」

宇宙の中で壮大な音が奏でられている。その音の一角を聴き取れたと感じたときに、ベートーヴェンの中で一つ、交響曲が生まれた。保坂和志「遠い触覚」

「お客さん、同じ白言うても営業車の白なんかと全然違うシロですよ」とセールスマンは力説するが、君それって差別じゃないのか。

「赤いスイートピー」を唄いながらステージに踊り出た松田聖子には、思わず身震いしたけれど、「サティスファクション」を歌うミック・ジャガーには、何の感動も覚えなかったぜ。80年代の武道館の思い出。

それほどおのれの神が尊いか。己を無にし、他人を無にし、世界を無にしてしまう狂気と虚無の神が。11/15

歴代の経営者が一流企業にあるまじきブラックな所業を働いてきたとして社会的な指弾を浴びている東芝が、謝罪と反省のテレビCMならともかく、相変わらず以前と同じ能天気な未来ビジョンを垂れ流しているのはどういう了見なんだろう。11/17

われわれの先祖は、明るい大地の上下四方を仕切って先づ陰翳の世界を作り、その闇の奥に女人を籠らせて、それを此の世で一番色の白い人間と思ひ込んでゐたのであらう。私はわれわれが既に失ひつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。
谷崎潤一郎「陰翳礼讃」

「あなたの代表作はなんですか?」と聞かれて「いま取組んでいる作品です」と答える創作家が多いが、これは額面通りに受け取るべきだろう。

創作家がいくら過去に恐るべき傑作を生みだしていたとしても、それはもう絶対に取り戻せない過去の己の産物である。傑作であろうがなかろうが、彼は今現在の自分に可能なものしか作れないのだ。

目や耳や手足が悪い人や私の息子やあなたのように脳の悪い人もいっぱいいるのが世の中というもの。この世に障がい者は不要で、健常者だけの社会にしたいというのでは、ヒトラー張りの優性思想の持主と言わざるをえない。11/20

最高法規を守らない政治家は、万死に値する。11/21

人と人との勝ち負けは理智に依ってのみ極るのではなく、そこには「気合ひ」と云ふものがあります。云ひ換へれば動物電気です。谷崎潤一郎「痴人の愛」11/28

氷盤上の時分の花が、いまを盛りと咲き誇っていた。フィギュアスケート世界最高得点の羽生結弦選手。11/29

倫理学の見地においても、悪は善の結果にほかならない。事実、悲しみはよろこびから生まれる。エドガー・アラン・ポオ「ベレニス」11/30


  時代劇の名悪役として知られたる五味龍太郎静かに逝きたり 蝶人




高橋源一郎選手独演会 [エッセイ]

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「鎌倉ちょっと不思議な物語」第357回&バガテル-そんな私のここだけの話op.214


 秋日和の昨日は、商工会議所で鎌倉文学館開館30周年記念の「鎌倉文士前夜とその時代」という講演会があり、高橋源一郎、館長の富岡幸一郎両氏の対談があった。

 富岡と云う人はてんで知らないが、私は処女作「さようなら、ギャングたち」以来の源ちゃんのファンなので楽しみしていたのだが、源ちゃん、定刻になっても現われない。

 会場を間違えたそうでおよそ10分間の遅刻であったが、対談は完全に源ちゃんのペースで、演題のテーマからは明後日、しあさっての方角へどんどんずれてゆくのだが、そのはちゃめちゃなずれが、ほとんど晩年の小林秀雄の講演さながらの見事な落語になっていて、成程新旧鎌倉文士の要諦は座談の御笑いの洗練された芸にあるのかと笑い転げつつも唸らされた。

 源ちゃんは現在64歳であるが、これまで5回結婚していて、およそ50回引越ししたので、作家業より不動産の目利きであると自慢していた。彼は現在妙本寺の森の中にある素敵な隠れ家に住んでいるが、以前鎌倉にいたときはロシア文学者の神西清の旧邸に居住していて、この家は扉を開いた瞬間に、「この家に決めた!」と声が出るほど素晴らしい家だったらしい。

 彼は鎌倉とは不思議な縁で結ばれていて、大学時代の寮は鎌倉にあったし、70年代の10年間は当地の斎藤建設の土方をやっていたので、鎌倉中の下水道工事は自分が手がけたと自慢していた。

 いわゆる鎌倉文士が酒を喰らっている間に、地べたを這いつくばって働き、別れた最初の奥さんへの慰謝料、養育費を払っていたわけで、ここに源ちゃんの原点があるのだろう。

 文学については「自分は過去の文学を全部破壊してやるという意気込みで取りかかったが、おじが戦争で死んだルソン島へ行って戦争のことなどをつらつら思いみると、あにはからんや過去の文学のしんがりに連なっていると痛感する」

「これからは老人の時代だ。文学は時間の藝術だから年季の入った老人の新人が登場するのではないか」

「他の藝術は無理だろうが、文学だけは認知症になっても大丈夫。武者小路実篤や小島信夫、庄野潤三の最晩年の名品を見よ」

 等々の気炎があがり、最後は海あり山ありの鎌倉は永住の地としては最高だ。万歳万歳と地元賛歌のお手盛りシャンシャン音頭で楽しく幕を閉じたのでありましたあ。


 10年かけてゆるゆるとこの国の農業牧畜業を壊滅させるTTP 蝶人



Les Petits Riens ~三十五年もひと昔 [エッセイ]

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蝶人五風十雨録第7回「十月三十日」の巻


1982年10月30日 土曜 
午前中、裏庭の整理をする。日本シリーズ、4勝2敗で西武勝つ。


1983年10月30日 日曜 はれ 寒
みかん狩りなれど長男は行かぬと主張して行かぬ。妻は映画を何年振りかで観たり。小生はテレビCM用の音楽探し。

1984年10月30日 火曜 はれ 
新ブランドの展開についてはノーアイデアなり。六本木WAVEにてSEDICの樋口氏に会う。

1985年10月30日 水曜 小雨
越中島に32課の杉山氏を訪ねる。

1986年10月30日 木曜 夜にわか雨
銀座ヨットハーバーにて放送出版企画のトラサルディ・パーティ。マガジンハウス石川次郎氏、ハイファッション小島さん、朝日新聞有賀氏など。

1987年10月30日 金曜 くもり
ケベック・シネマウイーク第1日。「冬の動物園」、一風変わった父と子の愛情物語。「パーソナルパワー」最低。「マリーは街へ行った」、娼婦サラと13歳の少女マソの友愛物語。秀作。「アンヌ・トリステール」レスビアン映画。本日、社長構想会。

1988年10月30日 日曜 はれ
妻落ち込む。次男また野球負ける。長男は外へ出たくないと云う。余、「指輪」のモノラル長時間CDを聴く。

1989年10月30日 月曜 晴れ
社内で新事業について打ち合わせ。通産省にて生活文化フォーラム準備委員会。「食空間」についての議論。日本雑誌協会にてSPUR編集長で同級生の山本大介の講演を聴く。

1990年10月30日 火曜 小雨
グルジア映画「希望の太鼓」。人事に後任を依頼す。

1991年10月30日 水曜 くもり
明星ビル8階にて企業CF是非論会議。すべてが虚しい。中東平和会談マドリッドにて始まる。

1992年10月30日 金曜 くもり
首の付け根と肩が凝って何をする気力もないが、永代にてIN店長会とショウの打ち合わせのあと「メンクラ」岡編集長のクレームを聞く。アラン・コルノーの仏映画「Tous les matins du monde」(めぐり逢う朝)をみる。

1993年10月30日 土曜 雨
次男、傘を持たずに学校へ行った。彼は成績が良くない。先生は「何も勉強しないでこの成績なら、やれば伸びる。1つでもいいから伸ばそう」というたそうだ。ジョン・フォードの「我が谷は緑なりき」をみる。

1994年10月30日 日曜 くもり
シンポジューウム2日目。宇治平等院、平泉毛越寺、鎌倉永福寺の中世園池庭園についての発表あり。大三輪氏曰く「八幡宮寺は礼拝、勝長寿院は滅罪、永福寺は御霊鎮魂の寺なり」と。また「永福寺の二階堂寺には釈迦如来が祀られていた」との仮説を出された。その後由比ヶ浜にてサーフィン見物。左足に潮を浴びる。

1995年10月30日 月曜 はれ
オウム解散を東京地裁が認定。この頃腰痛し。

1996年10月30日 水曜 はれ
始終体具合悪し。こんな会社にいると殺される。横浜でイダ・ヘンデルのバッハ2枚、クーベリックのシューマン、フラグスタート、ラベルの「子供と呪文」買う。

1997年10月30日 木曜 晴
午前、店長会。午後サンアド葛西氏に98年春の制作物のオリエン。来年の春には余はこの会社にいないだろう。

1998年10月30日 金曜 はれ
実際は会社の仕事は少なく、みなさぼっている。早くリストラせよ。渋谷でスパイク・リーのバスケット映画みる。妻、実家の木を切る。

1999年10月30日 土曜 晴
楽しく布団を干しながら、「フジヤマ」と「ゲイシャ」というタイトルで2つの掌篇小説を書こうと思う。昨夜次男帰宅したが体調が悪そう。大学院を控え心配なり。母は妻、ムクと太刀洗いに行き烏瓜を取る。

2000年10月30日 月曜 くもり
午前中文芸社にて取材。著者が手記を持参していたので大いに助かる。夜、飯田橋の同文社にて前田、斎藤、浜田氏と交歓。

2001年10月30日 火曜 くもり
長男、昨年に続きふきのとう舎バザーを欠席。余は終日講義録をつくるが、いずこよりも電話なく、猫のみ来たりてニャアという。盲目となりし愛犬ムクのご飯を食べるので、頭を叩いてやった。

2002年10月30日 水曜 はれ
修理工事3日目。今日は業者3名来りて書斎の横木を取り替え、てっぺんの赤さび落として下地を塗りたり。妻は横浜の病院にて定期健診。

2003年10月30日 木曜 はれ
やっと資生堂ワードの仕事を終える。疲れた。長男は小田急の事故で高座渋谷から桜が丘まで歩いたそうだ。ワットマンに出したチューナーとLDプレイヤーの修理が終了。

2004年10月30日 土曜 雨
妻は風邪をおして長男と横須賀の歯医者へいく。早く治れ! 仕事大台を越す。

2005年10月30日 日曜 くもり
妻とつまらぬことで喧嘩し、困ったことになる。メンソレがどこにあると怒った余が悪いのだ。1人で果樹園まで歩く。

2006年10月30日 月曜 くもり
文芸社に頼んで締め切りを1週間延ばしてもらう。

2007年10月30日 火曜 晴れたり曇ったり
文芸社第1稿アップ。午後久しぶりに果樹園へ。ノコンギクとアザミが咲いていた。

2008年10月30日 木曜 晴れたり曇ったり
数日前港で子供が裸で遊んでいた。数日前ツクツクホウシの死骸を見付けた。米大リーグ、レイズがフィリーズに敗れる。

2009年10月30日 金曜 晴
特に記すことなし。

2010年10月30日 土曜 雨
台風がやって来た!

2011年10月30日 日曜 晴
長男と西友で買い物をする。

2012年10月30日 火曜 晴れたり曇ったり
中原中也が亡くなった清川病院にて身体検査。忘れ物をして自転車で家まで戻って、また病院へ。耄碌したものなり。

2013年10月30日 水曜 晴
長男ようやく少し元気になる。余、清川病院に入院中の義母にランチを届ける。元巨人の川上哲治死す。93歳。

2014年10月30日 木曜 はれ
サッシ工事の価格交渉に入る。17万くらいで出来ると云う。

2015年10月30日 金曜 晴れたり曇ったり
朝元大慈寺、現カトリック修道院前の路地でフジバカマの蜜を吸うアサギマダラを発見。余が鎌倉に来て40年になるが、初めて見るアサギマダラなり。一刻も早く奥村晃作氏に伝えなければ。


      幾山河越え去り来しや浅黄斑 蝶人



すべての言葉は通り過ぎてゆく 第28回 [エッセイ]

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西暦2015年神無月蝶人狂言畸語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op.217


握った右手の強さを上回る力で握り返さない人間は本当の友ではない、と考えるマッチョなインテリが多いので驚く。

いかなる正論にも異論の余地はあり、反論の出来ない立論はない。したがってあれやこれやの立論のうち、どれを選ぶかは我われの論理的判断を超えた脳内のある種の情緒的な領域で賽の一振りのように行われることになるだろう。

テレビで三善晃の「沖縄連禱」などを視聴していても、ほとんど日本語の歌詞が分からない。児童合唱なら多少聴き取れることもあるのだが、大人の混成合唱はお手上げ。歌舞伎や文楽と同様字幕をつけてもらいたい。10/2

安倍宣伝局のNHKをはじめ右翼偏向的な日テレやフジテレビのニュースや報道、解説を断ち切ろうとしているのでチャンネル切り替えが大変ずら。10/2

阪神は権藤以外の誰が監督をやっても駄目だと思うんだが、元広島の金本だったら、いまの和田の方がましだと思う。しかしまだ逆転優勝の可能性もあるというのに首を斬るとはこの渡世も残酷なものだ。10/3

遺された夫の提案で列席者の拍手で送り出された川島なお美さんの告別式をTVで見ながら、内村鑑三の娘で18歳で夭折したルツ子嬢のことを思い出した。鑑三は「これはルツ子の葬式ではなく結婚式です。ルツ子さん万歳!」と叫んだのだった。10/3

私たちの太陽は2代目である。この太陽の前にここからそう遠くない宇宙空間にもうひとつの太陽があった。その初代太陽が爆発してその元素の塵が再び凝集して生まれたのがこの太陽系であり、われわれの地球だ。10/5

初代太陽が劇的な最期を遂げてくれたおかげで、今日のわれわれがある。比喩的神話的な意味ではなく、事実としてわれわれは太陽(初代)の子だ。太陽も星(恒星)だとすれば星の子だ。10/5

私たちの本当の母なる太陽は、私たちに高度な元素をつくり残して虚空に消えてしまった。劇的に死んだ母の遠い記憶。離散した元素の子供たちが身を寄せ合って第2の故郷をつくった。この地球を形作るすべての物質がそんな劇的な物語を秘めている。日野啓三

東京の夜空でも雲さえなければいくつもの星が見える。風の強い夜はかなりはっきり見える。じっと眺め上げていると胸の痛む様な思いに駆られるのも、私たちが星の子だからである。日野啓三10/5

放散虫類のオパールの精密に放射状の殻は、この地球上で最も美しい形のひとつだ。私はもうあと10年ぐらいしか生きないつもりだが、今度生まれてくるなら放散虫になりたいね。この宇宙で恐らく最も美しい姿。透き通って静かに冷たくきらめいて。日野啓三https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E6%95%A3%E8%99%AB

寺の門に立てた旗が風にはためいていた。それを見て弟子の一人が「旗が動いている」と云った。「いや風が動いているのだ」と他の弟子が云った。それを聞いて禅師は云った。「お前たちの心が動いているのだ」日野啓三

南半球にあるオーストラリアのホテルの洗面台で、水が日本と反対方向に渦を巻くのを、感動して見詰めていたことがある。日野啓三

「水商売の女のがいいんです。それも自分で抜いたのじゃいけないんで、誰かに抜いて」もらったのがいいというんです。当時はそいうことになってた。帝国陸軍は女の陰毛に守られて中国に乗り込んだわけです。みんな持ってましたよ」開高健「輝ける闇

小説は形容詞から朽ちる。開高健

未分明のものから一つの形式に向かうものが小説、形式をモチーフにして未分明のものへ向かうのが詩だ。田村隆一

ノーベル賞を受賞した大村智さんの快挙を、安倍蚤糞のごとき不逞の輩があたかも己の手柄のように持ち上げるのは不愉快極まる。お前は早くもどこかへ飛んで消えて無くなった矢でも作ってろ。10/6

連日のノーベル賞ラッシュ。大村さん、梶田さんに続いて、文学賞で村上春樹、平和賞で日本国憲法の受賞をひそかに期待している。10/7

実際ベルリン・フィルのデジタルコンサートホールで、カラヤンとアバドとサイモン・ラトルの新旧3人のブラームスの交響曲を聴き比べてみると、その総合的な音楽的感銘の深さにおいて、先先代のカラヤンに軍配が上がる。では音楽の進化とは何か?10/7

東京海上日動という会社が、わが偏愛のモーツアルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618をテレビCMで使っているが、こればかりは即刻やめてほしい。そもそもモザール選手の了解を取ったのか。おいらの葬式の指定曲を勝手に使うな。10/10

クラシックの名曲の最たるものはドボルザークの新世界交響曲だと思うが、いま1週間視聴無料の「ベルリンフィル・デジタルコンサート」でアバドの2002年パレルモツアーでの演奏を聞いたら、これが素晴らしい演奏だった。10/10

「真面目に弾くピアニスト。でも真面目には聞いていないぼくがわかる、悲しい」という歌を『暮れてゆくバッハ』の中で岡井隆氏に詠まれたのは中村紘子の演奏だが、この87歳の歌人の耳はじつに良く聴こえているなあ。10/15

日本テレビの「NNNドキュメント15」という報道特集番組が、旧日本軍による南京虐殺事件を鋭く追及していた。およそ1万人の捕虜を揚子江の岸辺に集めて機関銃で撃ちまくったあと、銃剣でずぶずぶと突き刺したと語る兵士たちの証言を現地で確認するスタッフ。これぞジャーナリズム!https://www.youtube.com/watch?v=GI-7PC99bLs

カティア・ブニアティシヴィリ、ユジャ・ワン、お前たちがみせたいものは裸なのか音楽なのか?

第44回全国短歌大会で応募数2679首の中から選ばれた最高賞作品は「はねあげた水のごとくに影が降り逃げた小鳥は数へられない」だそうだが、その意味も良さも分からない。どなたか教えてくださいな。10/18

八割がた雲が空を覆っていても晴れなんだって。マジかよ。そんな話初めて聞いたな。気象庁、ちょっと頭がおかしいんじゃないの。10/21

すぐに国会を開け。この愚か者たちよ。10/22

吉田秀和翁のエッセイで歌手のフィッシャーディスカウとタクシーに乗っていたらベートーヴェンのピアノ協奏曲の5番が掛かっていて、それをベーム指揮ウイーンフィルでバックハウスの演奏とディスカウが言い当てるのでかっこいいなと思っていたが、いまどきこんな運ちゃん居るのだろうか?10/22

「健全な野心」を失わないことです。村上春樹10/26

自分の「実感」を何より信じましょう。大事にしましょう。たとえまわりがなんと言おうと、そんなことは関係ありません。書き手にとっても、また読み手にとっても、「実感」にまさる基準はどこにもありません。村上春樹「職業としての小説家」10/28

温泉のお湯と家庭風呂のお湯、大きなやかんで沸かしたお湯と小さな器で沸かしたお湯の違いが、小説や音楽にもあるようだ。村上春樹「職業としての小説家」10/28

源泉にたどり着くには流れに逆らって泳がなければならない。流れに乗って下っていくのはゴミだけだ。ポーランドの詩人ズピニェフ・ヘルベルトby村上春樹「職業としての小説家」10/28

私は希望もなく、絶望もなく、毎日ちょっとずつ書きます。アイザック・ディネーセンby村上春樹「職業としての小説家」10/28



こんなに野菜が高いのも暮しが良くならないのもみんなお前のせいだ安倍 蝶人

Les Petits Riens ~三十五年もひと昔 [エッセイ]

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蝶人五風十雨録第6回「九月三十日」の巻&バガテル―そんな私のここだけの話 op.216

1981年9月30日 水曜 くもり
長男の運動会のために会社を休む。障がい児なれど学友に混じってさほど目立たず見事に溶け込んでいる様子に感嘆。50メートル走も完走。先生に感謝。

1982年9月30日 木曜
キャプテンシステムへの入力、大半が終了。電通の羽賀氏、大奮闘。“なまけものウエア”のアイデアが浮かびくる。

1983年9月30日 金曜 小雨
TCC授賞式。新見氏およびホンダの茨木氏を識る。「宣伝会議」の講師を依頼される。

1984年9月30日 日曜 はれ
妻は福祉まつりバザーなれど余は自宅にて仕事&リラックス。

1985年9月30日 月曜
渚画廊で藤本泰子展、ムパタのような作風なり。映画「キリングフィールド」みる。

1986年9月30日 火曜 はれ
麻布フィンランド大使館脇のスマッシュに日高氏を訪ね、式田氏と共にJ.バーキン来日時のイベント企画を練る。夜第3回ネクストアパレル研究会にてポストDCを論ず。出席者16名。

1987年9月30日 水曜 くもり 寒
ジャン・ルノワールの「演技指導」、「ピクニック」「牝犬」をみる。素晴らしい。これに比べれば夜のオーストラリア映画「普通の女」はうわっつらだけの作品なり。

1988年9月30日 金曜
INの来年度のテレビCMについて池田ノブオ、電通と打ち合わせ。イラストを変更し曲はブルーハーツの「キスしてほしい」。小学館「マフィン」創刊。「女性自身」は天皇写真逆ネガ使用で発売中止。「サンデー毎日」は天皇死亡事故で責任者更迭さる。

1989年9月30日 土曜 くもり
連載中の「ル・クール」誌11月号の原稿を書く。 

1990年9月30日 日曜 台風
台風20号来襲し、家の裏の崖より濁流流れ落ちる。夜6時、遂に床下浸水、一家総出1時間がかりで汲みだす。日朝国交回復の動きあり。

1991年9月30日 月曜 小雨
はてさて余はこれからどうすればいいのだろう。アフリカで頭がいっぱいの小黒氏からはつれない返事。されどディスクガレージの市川氏は親切なり。同社の蓮沼選手とあれこれ話す。

1992年9月30日 水曜 くもり
永代にてINブランドのショップ打ち合わせ。

1993年9月30日 木曜 東京はれ 広島くもり
新装なった羽田をANA12時発、雨の広島空港に到着。郊外のアルパーク天満屋、駅前のキリンヤをみて、夕方姫路の安ビジネスホテルに泊る。新幹線にて相生付近を走行中約5分間狭心症の発作起こりしが、懐中のニトロ2錠飲みて事なきを得たり。

1994年9月30日 金曜 はれ
風強く空気生温し。朝永代のIN店長会にて、スタッフを叱咤激励す。上野へ行きてアンデスのシカン発掘展で逆立ちで埋葬されし王をみる。はじめて国立科学館を訪れ、ゼロ戦や縄文時代の母子の死体、南極犬ジロ、忠犬ハチ公の剥製に接したり。

1995年9月30日 土曜 はれ
放送出版にてアパレル産業の昨今についてレクチャーしたが、うまくいかなかった。池田社長、渡辺氏などと会食し、3万円頂戴す。渋谷にてフォーレ室内楽4枚組買う。ヤクルトが優勝す。

1996年9月30日 月曜 雨
本日で9月も終わり、恐るべき10月がやってくる。昼はニットウイークの亡霊、夜は妹の電話に悩まされる。

1997年9月30日 火曜 晴れ
会社を休みて上野の冷泉家至宝展をみるが、大したことなし。藝大大浦食堂で昼食。これも大したことなし。横浜桜木町に行き、県立博物館(元の横浜正金銀行)にて藤沢遊行寺蔵の一遍上人絵巻をみる。

1998年9月30日 金曜 曇り時々小雨
次男無事に上海から帰国す。杭州、蘇州、寧波にも行ったらしい。余は川崎さいか屋、新宿小田急を訪ねたり。長男は明日も休むという。

1999年9月30日 木曜 晴れ 暑し
電通の古川取締役を訪ねる。外から仕事をもらわず社内から業務委託契約を貰いなさい。そのほうが迷惑にならない、と助言される。東海村で原子炉事故。中日優勝す。

2000年9月30日 土曜 曇り時々小雨
ムクの散歩を兼ねて、ガマの穂を取りに行く。次男は熊野へ旅行しているとか。図書館へ行ったが休み。御成小、二小で運動会。

2001年9月30日 日曜 曇りのち雨
従弟の卓、亮泊る。みなで朝ごはん。それから2人は、次男と一緒に近所のおばあちゃんチの蜂の巣を退治し、お昼はパスタをたいらげてから南浦和に帰り、次男は綾瀬に戻っていきました。

2002年9月30日 月曜 終日雨なり
講義の準備をする。小泉内閣の改造人事で竹中が金融庁兼務となる。不良債権への資本注入反対論者の柳澤も入閣したがどうなるか。イチロー打率4位。雨中カナカナが鳴いている。

2003年9月30日 火曜 はれ
新宿で文化講義、1日3コマで疲労困憊。大船で途中下車して茶色の靴3100円、ユニクロでパンツ1900円買う。

2004年9月30日 木曜 晴れ 暑し
台風一過。東京工芸大へ行く。大リーグ、イチローあと2本、松井30号。

2005年9月30日 金曜 はれ 
松井22号。次男と太刀洗い散歩。アブラゼミ鳴く。美術館にて篠原有司男展。グロテスクな生命力漲る。長男は源平池の蓮をじっと見つめる。

2006年9月30日 土曜 くもり
まだアブラとミンミンが鳴いている。夜、月下美人が2つ咲いた。

2007年9月30日 日曜 雨
昨日から急に気温が下がり、11月頃のそれである。日本人フリー記者が殺された。

2008年9月30日 火曜 雨
米国における企業救済法が拒否され、史上最大の株安。余波は全世界へ。4年振りに浄明寺の歯医者へ行く。欠けた歯を継ぎ、歯石を磨いて4300円。少し高いのではないか。

2009年9月30日 水曜 小雨
妻と栄プールで泳ぐ。ユニクロで長男のジャージを買う。噛むと歯が痛い。サモアの首都パゴパゴでM8.2の地震あり。

2010年9月30日 木曜 雨
妻と横浜石川町へ行き、次男のアトリエを訪ねる。中華街の聘珍樓で5千円のフルコースを食す。楽しきこと限りなし。

2011年9月30日 金曜 晴れたり曇ったり
駅前の東急ストアや傘屋で買い物をする。文芸社より依頼あり。

2012年9月30日 日曜 大風
夜半にかけて台風17号名古屋に上陸し、本土を北上す。

2013年9月30日 月曜 晴れたり曇ったり
妻は前歯を治療している。皮膚が猛烈にかゆいそうだ。可哀想なり。

2014年9月30日 火曜 快晴
改装工事9割方終る。なかなかしゃれた感じに仕上がった。数日前に元社会党の土井たか子氏子死去。85歳なりき。

2015年9月30日 水曜 晴
朝、なおも油蝉が鳴いていた。妻と庭の草を取る。安倍蚤糞、NYで「一本でもニンジン、三本足す三本は合計六本の矢」なる阿呆莫迦音頭を唄って安保理国入りをアピール。懲りない男なり。「ロジャーズ」の左スピーカーが故障したので同じく英国製のKEFに取り替えようとするうちに日が暮れた。

       気違ひが出刃包丁を持ち九月尽 蝶人


     大谷戸の電柱の上に鎮座して我らを統べる一羽の鳶 蝶人


すべての言葉は通り過ぎてゆく 第27回 [エッセイ]

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西暦2015年長月蝶人狂言畸語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op.215


政治家は引退しますと誓った男がその舌の根も乾かないうちに新政党を立ち上げるという。こういう恥知らずの嘘つきを市長に奉る大阪市民は、己が虚仮にされていることに気付かないのだろうか。9/1

最初に俗耳に入りやすい4番と7番を聴くうちに、5番と8番の深みに入って、9番で打ち止める。ブルックナーの交響曲のよくある聴き方。9/1

テレビ局が、みなさまのNHKまでが、安倍蚤糞の憲法クーデター法案への突っ込みなど抛りだして、朝から晩まで目の色を変えてエンブレムがプロブレムだとはしゃいでいる。目糞鼻糞がそんなに嬉しいか。五輪こそ抛りだしてしまえばいいのに。9/3

強風に流されながらも、庭の柑橘類めがけて飛んできて、葉っぱの裏に乳白色の卵を産みつけようとする紋黄揚羽の雌。死期が迫って意識が朦朧としているので、もはやどれが食草なのか分からず、私の体にぶつかってきた。嗚呼、紋黄揚羽よ!9/4

放送大学で野中哲照国学院教授による「薩摩硫黄島の 熊野三山と『平家物語』」をみて感動した。平安末期の鹿谷事件で平家打倒に失敗し、薩摩硫黄島に流された俊寛僧都、藤原成経・康頼の旧居や行動の軌跡、彼らが熊野三山を勧請したことなどが延慶本『平家物語』の記述や考古学、現代科学の最新知見を総動員して立証されていく。9/4

いちばん大事なことは、ただちに戦争法案を廃案にするとともに、日米安保条約を見直し、対米従属を断ち切るのか、それともこのまま米国の愛玩犬として能天気な奴隷の道を続けるのかを決定することだ。9/6

いま発売中の「サンデー毎日」9.13号に、去る8月25日、安倍政権ベッタリの偏狭報道を続ける「アベ様の公共放送」NHKに抗議して、およそ1050名の視聴者が押し寄せ、「アベチャンネルにするな」「籾井会長は辞めろ」と叫んだという記事が出ている。9/7

歌をどう詠むべきかを論じるのは頭だが、実際に歌を詠むのは歌ごころであり、歌ごころは頭とは全然関係がないのに、関係があると誤解するところから歌に関する誤解が始まる。9/7

三舎を避く。すなわち遺伝子検査で障がい児と分かったので流産させること。その前に検査をするかしないかの倫理的な選択がある。9/8

大近松の作品は殆ど顧みられないで末流作者の痴呆的作品の方が却って一般の嗜好に投じ、隆盛を極めるに至ったのはどういふ訳であらうか。これは大いに考へて見る価値があらう。谷崎潤一郎「所謂痴呆の藝術について」9/8

大自然の暴威には為すすべもないが、憲法違反の政治的暴力には衆知を集めて対抗することができる。9/11

身近でささやかな幸福や不幸は、誰でもありありと感受することができるが、遠くにあるもっと巨大な幸福や不幸は、それが世の中により重要な意義を持つものであっても、誰も直截には感得できない。9/12

グーグルの新しいロゴは全然良くない。白紙撤回して、仕事がなくなった佐野研二郎選手に頼んでみたらどうだろう。ただしパクリなしの完全オリジナルデザインでね。9/12

台風18号の鬼怒川堤防決壊の現地レポートで精彩を放ったのは、テレ朝の寺川記者。若いのに的確な日本語表現が光った。対照的に「釘ぬか的隔掻痒的とろさ」を発揮していたのがフジのびっくらたぬき記者だった。9/14

NHKの世論調査で、アベノミクス、戦争法案に対する不支持が支持を上回っているにもかかわらず、安倍内閣の支持率が不支持を上回るのはどう考えてもおかしい。この安倍宣伝放送局は、官邸から頼まれて数字を操作しているのではないだろうか。9/15

仏蘭西大革命以降、民主主義は議会制間接民主主義と街頭性直接民主主義から成っており、民意をより単刀直入に反映するのはもちろん後者である。いまこそ街頭性直接民主主義にものをいわせる時だ。9/16

まぎれもなく今日私たちは、地獄の一丁目に入るのだ。9/18

空は晴れたが心は闇だ。杉作、日本の夜明けはまだまだ遠いのお。鞍馬天狗9/19

右目で産経、左目で東京新聞を読み、右耳でNHK、左耳でTBSを聴いていると理想的な中立人間が出来上がるんだって。9/19

イチロー、打てども打てどもヒット出ず。やっぱりもう終わった選手なのかなあ。そういえば黒田もカープに戻らずにヤンキースにいれば優勝できたかもしれない。残念、残念、残念ずら。9/21

天皇、中でも江戸中期以降の天皇は、ごくわずかの例外を除いて短命だった。桜町天皇は満30歳、桃園天皇21歳、後桃園天皇21歳、仁孝天皇45歳、孝明天皇は満35歳で崩御している。ドナルド・キーン(「明治天皇」)

月見れば雁がとんでゐる水のなかにもうつるなりけり
安政4年1857年11月明治天皇満5歳の最初の御製
ドナルド・キーン(「明治天皇」)

曙に雁帰りてぞ春の日ぞ声を聞きてぞ長閑なりけり (幼少時の明治天皇作)
春の日に空曙に雁帰へる声ぞ聞こゆる長閑にぞなく (父孝明天皇の修正)
ドナルド・キーン(「明治天皇」)
私はむしろ父親が手を入れない方がよかったと思うのであるが。

天皇の乗船時刻が干潮のために甚だしく遅れたことがあった。西郷隆盛は、潮位の測定を誤ったとして海軍少輔川村純義を責め、激怒のあまり、傍らにあった西瓜を摑んで庭に投げつけると、粉々に砕け散ったのを、天皇は2階からじっと見ていた。ドナルド・キーン(「明治天皇」)

ますらをの涙を袖にしぼりつつ迷うふ心はただ君が為め 江藤新平の辞世
江藤の首は3日間晒された。明治7年のこの年、江藤は40歳だった。大久保利通は彼が斬首された4月13日の日記に「今日都合克相スミ大安心」と書いている。ドナルド・キーン(「明治天皇」)

国立劇場のチケット購入が突然出来なくなったので問い合わせたら、ブラウザーがGoogle Chromeだと不可、「Internet Explorer」か「Safari」を使えという。しかしどこのブラウザーであろうが簡単に買えるシステムを用意するのは、私ではなくて国立劇場の仕事ではないのだろうか?9/24

戦争法案から国民の目を逸らそうとまたまた打ち上げた「1億総火の玉大花火!」。安倍蚤糞ご自慢の古いほうの「3本の矢」は、いったいどこへ飛んで行ったんだ。9/25

カラヤンが亡くなる前の年のザルツブルク音楽祭でR.シュトラウスの「薔薇の騎士」をみていたら、終幕の3重唱を指揮するマエストロと歌手の間に見えない糸がピンと張り渡されているのが見えて「ああ、これだな」と思った。小澤征爾「BS朝日キーンとの対談」9/26

横綱の品格なんて糞喰らえ。ともかく勝てばいいんだ、と右に左にピョンピョン飛び回る米つきバッタのようなモンゴル人にすら勝てないドジな日本人大関。これはもはや相撲というより吉本新喜劇ずら。9/27

        蝶の影濃くなりゆきて九月尽 蝶人

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