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鎌倉文学館にて「鎌倉文士・前夜とその時代」展をみて [鎌倉ガイド]


茫洋物見遊山記第194回&鎌倉ちょっと不思議な物語第362回

 同館が主宰する文学散歩にIMG_0745.JPGしていながら、肝心の展覧会がまだだったので、快晴の午前にひとわたり見物してきました。
 例によって川端康成とか久米正雄とか、里見弴とか高見順とか小林秀雄とか芥川龍之介なんかの実筆がずらずら並んでいましたが、中村光夫選手なんかの字は細かいですね。
 字が細かい人はやはり繊細で神経質なのかなあと思いながら、ガラスケースの内外を眺めていたら、超細かくて虫めがねでもなければてんで読めない文章がありました。
 それは驚いたことに築地警察署から小林多喜二が確か中野重治の娘さんに宛てた手紙で、内容は特にどうということはないが、そのすぐ後に虐殺されるとはこれっぽちも思えないほど晴朗なトーンで延々と書かれ、なにせ警察からの手紙ゆえ定められた極小スペースに牛ぎゅう詰めの超細字で面々と綴られているのでした。
 しかし鎌倉文士でもないのに、どうして小林多喜二の手紙が展示されていたんだろう?
 多喜二と彼女はどういう関係だったんだろう?
 あとは妻に宛てた芥川の、神経症的で、律儀で、異様な遺書がいま読んでも不吉なオーラを放っていたなあ。芥川とか太宰とかは作品だけで遠くから付き合ってればいいけれど、実際に交渉するとなると大層気骨が折れる厄介な人物だったんだろうなあ。
 なお同展は来る12月13日まで同館にて寂しく開催ちう。

    東の空より谷戸に光差し竜胆の花いま開かんとす 蝶人

原節子死す [鎌倉ガイド]

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そんな私のここだけの話op.215&鎌倉ちょっと不思議な物語第361回

 原節子嬢が9月5日に95歳で亡くなっていたというニュースを聞いて、ああついに来るべきものが来た、という感慨に襲われた。このひとだけはいつまでも死なないのではないかとひそかに考えていたのだが、天網恢恢そうは問屋が卸さなかったのである。

 原節子という人は詰らない作品の詰らない役にもたくさんでており、必ずしも演技がうまかったとは思わないが、小津をはじめ成瀬、黒澤両監督のメガフォンに助けられ、その存在自体が既に何者かであるというような希少な価値を獲得するに至っていたかけがえのない俳優のひとりであった。

 晩年は私の家にほど近い浄明寺の隣に隠棲しておられたので、時々散歩がてら生垣の向こうの離れを覗きこんでみたが、それらしい人影はついに見当たらなかった。


これで日本映画史は最終コーナーを回り、とうとう日本の大女優はひとりもいなくなってしまったことは淋しさの極みである。

 
 「わたし悪いんです。悪い女なんです」原節子は永遠に死なない 蝶人




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速報! 生誕100周年記念「柿本幸造 絵本原画展」in鎌倉のご案内 [鎌倉ガイド]

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鎌倉ちょっと不思議な物語 第360回

鎌倉に55年間住んだ絵本作家、故柿本幸造さんの絵本原画展が開催されます。

誰もが知っている「どうぞのいす」や「じゃむじゃむどんくまさん」から隠れた名作まで、錦秋の3日間に限り、貴重な原画が勢ぞろいしています。

どうぞお子様連れで鎌倉までお運びください。会場は駅から歩いて2分の鎌倉生涯学習センター(きらら鎌倉)ギャラリーで、入場は無料です。

                  記

2015年11月27日から29日 10時から17時まで
(初日は13時から、最終日は16時まで)

問い合わせ03-6868-3785 NPO読書サポート


  鎌倉の十二所に住みし柿本さんの眼どんくまさんに似て限りなく優しい 蝶人

秋の鎌倉文学散歩 [鎌倉ガイド]



茫洋物見遊山記第192回&「鎌倉ちょっと不思議な物語」第359回


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 鎌倉文学館の主催で年3回行われているこの催しですが、今回は「鎌倉文士の足跡」を辿るウオーキングでした。

 というても行動半径は駅の周辺の近場ばかり。午前10時に裏駅の時計広場に集合してお昼前には駿河銀行前で解散という短時間ツアーなんだね。もちろん文学館の学芸員の方が用意されたテキストをもとに懇切丁寧な解説をしてくださいますので毎回勉強になります。

 鎌倉文士というのはキザで嫌な言葉ですが、そもそも文士というのは武士という言葉ともども古事記や吾妻鏡に出ているといわれて、ちょっと驚きました。その当時は役所の事務方という意味で現在のように文学者などを意味しなかったそうですが。

 久米正夫、高見順、川端康成などの鎌倉文士が、戦争末期に喰うに困って始めた貸本屋「鎌倉文庫」は鶴岡会館付近にあり、その開設準備は小町通りと若宮大路をつなぐ路地にあった「龍謄」という喫茶店で行っていたそうです。

 昭和20年8月17日に鎌倉養生院で肺結核で亡くなった島木健作も、その死の直前までこの「鎌倉文庫」の企画に賛同して蔵書を提供しています。

 ちなみにこの鎌倉養生院というのは現在の清川病院で、中原中也も昭和12年10月22日にこの病院で亡くなっているので、私は彼らを悼むべく毎年の健康診断をこの倒産寸前の由緒ある病院で行っているわけです(笑)。

 中也と云えば以前の日記で、最晩年に彼が長谷の玩具屋「からこや」で空気銃を買ったと書いてしまいましたが、今回のツアーでそれは下馬四つ角にあった「林家」という今は材木屋になっている百貨店で買い求めたそうです。

 中也はそれで八幡様の鳩を撃ったようですが、私ならさしずめそこらへんにうようよしている凶悪にして獰猛なる台湾栗鼠を撃滅したいですなあ。


   月並みにあらざるはずの歌選び新聞歌壇に投稿するなり 蝶人

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鎌倉国宝館で「鎌倉震災史」展をみて [鎌倉ガイド]

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茫洋物見遊山記第191回&「鎌倉ちょっと不思議な物語」第358回

 いつも仏像や御雛様の展示をしている国宝館が異色の展覧会を来る12月6日まで開催しています。題して「鎌倉震災史」。歴史地震と大正関東地震という副題がつけれれているとおり、当地における有史以来の地震や津波や地割れ、建築物倒壊、死傷や人身事故の赤裸々な実態を歴史文書と絵巻物、写真などで明らかにしています。

 「吾妻鏡」を読んでいると驚くのは鎌倉の地に夥しい天変地異が起こっていることで、その中には8回の地震&津波情報の他に、化物や精霊、怨霊、妖怪のたぐいの出現と併せて天文の異常を伝える記述も多く、そのたびに幕府はパニックになって例の博士に占わせています。

  例えば寛喜2(1230)年には、大規模な震災と山崩れ、液状化現象が、わが家の近所で発生しました。

 三代将軍実朝が父頼朝を偲んで1212年に建立した大慈寺(現在はカトリック修道院が建っている)の七堂伽藍は、裏山の阿弥陀山の大崩壊によって次々に倒壊し、滑川をはさんだ広大な敷地は、激震と液状化現象によって甚大な被害を蒙ったと「吾妻鏡」にも記されています。

 その後も鎌倉は建長5(1253)年6月の大地震、正嘉元(1257)年8月23日の山崩れ、地割れ、湧水、後代に入ると1703年の元禄大地震、1923(年の関東大震災など先日の東日本大震災に匹敵するほどの災害を経験しているのです。

 
 「天災は忘れたころにやってくる」と申します。ことし寛喜大震災から785年、関東大震災からは92年を迎える鎌倉が、またしてもの大震災に見舞われる日は、それほど遠くないでしょう。


   鎌倉がくたばる前に私をくたばらせてよ神よ仏よ 蝶人




5回目の由比ヶ浜 [鎌倉ガイド]

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鎌倉ちょっと不思議な物語第351回&バガテル-そんな私のここだけの話op.211


湘南海岸にサメ30匹来襲の報で遊泳禁止になったはずだったのに鎌倉の3つの海水浴場は、昨日の午後3時15分に神奈川県警航空隊による上空からの調査の結果、「もはや危険は去った」として遊泳を許可した。なんとも素早い対応だが、この間泣く泣く泳げないで引き揚げた海水浴客は可哀想なりき。

んで今朝はどうかというに、朝8時半に同じく神奈川県警航空隊による上空からの調査の結果、「もうサメはいないずら」という報告を受けて黄色(遊泳注意)で海水浴可能となったので勇んで今年5回目の出動となりました。

昨日のサメ情報がきいているので、浜の人影は非常に少ない。やはりいくら安倍蚤糞が悪事の限りを尽くす戦後最悪の時代にあっても、サメに喰われて死にたくはない、という人が多いということなんでしょう。

少し海水は冷たかったけれど、波は穏やかだし透明度もこれまでで一番高く、おそらくはボラと思われる魚がスイスイと泳いでいた。

このコンデションでは青旗がふさわしいが、黄色にしたのは遊泳ではなくサメ注意という意味だろう。時折「腰の高さで泳いで下さい」などと放送していたが私と息子は背の立たない深さのところで40分ほど水浴してご機嫌で引き揚げた。


   由比ヶ浜にジュリア・ロバーツ似の魚が三匹泳いでいた 蝶人

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今年最後の海水浴かな [鎌倉ガイド]

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鎌倉ちょっと不思議な物語第350回&バガテル-そんな私のここだけの話op.210


 きのう次男が帰って来たので、久しぶりに家族4人で4回目の由比ヶ浜行きとなりました。

 今日は遠くの水平線もくっきりと見え、波も穏やかだったので、どんどん泳いで境界線の黄色いブイにつかまっていると、胸や肩をツンツンつつくものがある。何事ならんとよく調べてみると青く細長いクチボソのような小さな魚が私の痩せた体にまつわりついているのでした。

 最近はどんな人間からも愛されることが少なくなったこのオイボレを憐れんで、可愛らしい海の小魚が老体を労わってくれるとは驚き桃の木山椒の海の木。私はしばらく白昼夢のようなひとときを過ごしてからこの夏いちばんの海に別れをつげて家族ともども帰宅しました。

 お昼に美味しいカレーラースを食べ終わっってからニュースを見たら、なんとサザンの歌で有名な烏帽子岩あたりで30匹のサメが出現したので、鎌倉のすべての海水浴場は遊泳禁止になったという。

 もしかすると昼前に私が戯れていた小魚はもしかするとサメの稚魚ではなかったろうか、という疑いがあの時青空にムクムク聳えていた入道雲のように胸の内で湧きおこってきたのでした。桑原、桑原。

 わが家ではいつも海水浴は昼寝の後なのですが、今日は次男の都合で珍しく午前中に出かけたので楽しいひとときを過ごすことができたのですが、いつもの午後なら泳ぐことは叶わなかった。

 サメだって安倍内閣の戦争政策に反対する怒りのデモンストレーションのためにし列島各地に海岸につめかけているわけですから、そう簡単に引き揚げるとは思われない。

 もしかすると今日が今年最後の海水浴ということになる公算が大なのです。


 「違憲なり戦争法案撤回せよ」サメザメと泣きながら訴える三十匹のサメ 蝶人



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3回目の由比ヶ浜行き [鎌倉ガイド]

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鎌倉ちょっと不思議な物語第349回&バガテル-そんな私のここだけの話op.209


2時半に出発。駐車場は満車だったが、入口のおじさんが手招きして入れてくれた。その直後に入場を封鎖してしまったので超ラッキーだった。

例年だとこの時期のこの時間で駐車場が空いているなんて絶対にあり得ない。これは年々海水浴客が減って来たことと、市町村側が不埒な客が惹き起す様々な事件(中には1昨年の逗子のヤクザ殺人事件もあった)に辟易して、厳格な入場制限を課したことの相乗作用であろう。

さて今日は台風の余波で波が高くて遊泳注意の黄色い旗がたなびいていたが、前回並みの波の高さであり透明度であった。水温もほどほどで快適そのものなれど、沖合でまたしてもチクリとクラゲにさされてしまったので、救護所に行って中和剤を塗ってもらう。

おばさんの話では今日はあまり被害者はないが、せんだっては大勢の海水浴客が刺されて延々列を作って並んだそうだ。どうもその日の状態によって大量のクラゲが押し寄せたりそうでなかったりするようだ。

まあジョーズじゃなくて、クラゲで済んで良かった。

本日の特筆事項はホンダワラの大群。こいつが浅瀬にゴロゴロ転がっているので、まるでサルガッソーの海のように、なかなか沖に進むことができないほどだった。

こういう日もある。

でもアホバカ自公が旗を振って戦争でも始まったら、海陸の交通が遮断されて食物や物資が入手難になるが、こういう海や山のある土地ではこんな海藻や山の植物を食うておれば半月くらいは生き延びることもできるに違いない。

そんなことを考えながら潮の流れに揺れ動く茶色いホンダワラを眺めていた。

ホンダワラの古称は「ナノリソ」なので、目の前のホンダワラに「名を名乗れ」と云うたら「ホンダワケである」と答えた。

ホンダワケは古事記に出てくる応神天皇だが、筑前生まれの彼は八幡信仰の元祖でもあるから、ここ鎌倉の地に鶴岡八幡宮が鎮座しているのは理に適っているようだ。


   戦争が起こったら由比ヶ浜のホンダワラを採って朝夷奈峠に逃げよう 蝶人

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初めての海水浴 [鎌倉ガイド]



バガテル-そんな私のここだけの話op.205&鎌倉ちょっと不思議な物語第347回

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 遅まきながら今年初めて由比ヶ浜の海水浴場に出かけました。

 例年ですともう何回もここで泳いでいるはずですが、8月になったのは先月末にうちの長男が帯状疱疹に罹ったから。

 皮膚科の先生からそろそろいいでしょうとお許しが出たので親子3人勇躍乗り込みました

 地下の駐車場にすんなり入れたのは驚きでしたが、土曜の午後だというのにそれほどの混雑ではなく、例年のような阿呆莫迦音楽の♪ズンズンズンがありません。

 お隣の逗子市に倣って今年から鎌倉市が音響機器、飲酒、刺青の露出を禁止したので、浜辺はようやく静かさを取り戻したようです。

 喫煙も禁じられているはずですが、平気でスパスパやっている連中も相変わらずいて、巡回しているガードマンも放置しているのはいかがなものか。煙草を吸って癌になったり早死にするのは本人の勝手ですが、その毒入りの煙が家族や周囲の第三者の呼吸器から流入して内臓を汚染し、結果的に「間接的な殺人行為」を働くのは絶対に許すわけにはいきません。

 それはともかく、今日の由比ヶ浜は海水の透明度が低く、どんどん沖合に泳いでいっても水温が下がらない。おまけにクラゲも出ているようで♪ピリリピリリと刺しやがる。耕君は四回、私は二回の水浴びを終えてさっさと帰路につきました。

 前にも書きましたが、鎌倉の海水浴場は家族連れにはあまりお勧めできません。お隣の逗子のほうが比較的空いているし、内海なのでずっと遠浅だし、波が穏やか。鎌倉の三つの海水浴場に遊泳禁止の赤旗が立っていても、逗子は遊泳注意の黄色のことが多い。

 それから東京方面に帰るとき、鎌倉駅からはグリーンでも絶対に座れないけれど、逗子からは湘南新宿ラインが始発で出ているし、横須賀線は必ず4両増結するのでちょっと待てばどんな時でも必ず座って帰れます。

 逗子が嫌なのは、その近所の山の上に悪名高き石原慎太郎の自宅があり海岸の道路脇にあの下らない小説「太陽の季節」の碑があるることくらいでしょうか。

 でも毎年不快な音楽という名の騒音を垂れ流すダンス音楽小屋も閉鎖され、代わりに親子で楽しめる海上公園?も誕生したので、まことに快適な海水浴を楽しむことができるでしょう。

   心頭は滅却すれどまだまだ熱し 蝶人

   人混みの鎌倉よりも夏は逗子 葉山には美術館もあるぞよ 蝶人

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鎌倉国宝館で「常盤山文庫展2015」をみて [鎌倉ガイド]

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茫洋物見遊山記第184回鎌倉ちょっと不思議な物語第346回


 すでに6月28日に終了してしまいましたが、「常盤山文庫」というのは鎌倉山の開発に尽力した故菅原通濟が1943年に創始した美術コレクションの名前です。

 通濟が住んでいたのは鎌倉笛田の常盤山。「文庫」と名付けたのは美術品の蒐集と共にそこを学者が集まる研究の場でもあってほしいという願いが込められているからです。

「常盤山文庫」の母体は、通濟が収集した墨蹟や水墨画などの書画でうち2店が国宝、22点が重要文化財に指定されているハイレベルのコレクションです。

 今年の本展では「鎌倉禅林の墨蹟と頂相」をテーマに鎌倉ゆかりの禅僧の墨蹟が出品されていましたが、国宝の「清拙正澄墨蹟」をはじめ、無学祖元、蘭渓道隆など宋、中国の僧の筆跡は、同時代の多くの日本人と違って自由闊達で、見ていて気持ちが宜しい。

 同じ漢字を扱いながらその書きぶりが無造作でありながら、味わいが深い。後代の日本人は、こういう天然天真爛漫の筆致をまねぶ精神を等閑に付してきたのではないでしょうか。


 筆跡を見ればだいたい分かるはずあんたがなんぼのものであるかは 蝶人


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