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ゼイディー・スミス著「美について」を読んで [読書]



照る日曇る日第837回


 正月早々、中身の濃い小説を堪能しました。ジャマイカ人の母とイギリスの人の父を持つ1975年生まれの美貌のハイブリッド作家が「ハワーズ・エンド」を顕彰してあらわした本格小説です。

 ボストン近郊の大学町を舞台に、レンブラント研究家の白人と黒人の教授一家のいずれ劣らぬ一騎当千の面々が、人種、血族、資産、政治、思想、階級、青春、美学、宗教、教養、文化基盤などの違いをむき出しにしながら、対立と相克、そして微かな相互理解の極限まで突き進んでいくという血湧き肉躍る文化&精神&肉体衝突小説ずら。

 特に面白いのは、いい歳こいたデブ腹プロフェッサー2人が、表では格調高い美術論や政治思想を唱えて偉そうに対峙しながら、裏では同僚や若い美人学生(あろうことかライバルの娘)にひっかかって劣情を満たしたり、それが妻君にばれて離婚騒ぎがもちあがったりして、くまさんはっさん的なドタバタ劇を演じるカタストローフで、その周章狼狽ぶりをほくそ笑みながら描破する著者のペンは、純文学作家のモンブランではなく漫画家のGペンである。

 物語にはボストンの町並みや文化的風土、レンブラントの絵画やモザールのレクイエム、流行のラップ・アーテイストなどについての注目すべき見解も随所にちりばめられ、さながら著者が尊敬するE・M・フォスターの「ハワーズ・エンド」のように威風堂々と進行する。

 しかし初めは処女のようだった小説が、脱兎のごとく終盤に突入するやいなや、絵画盗難事件の詳しいなりゆきや、両教授の最終的対決の現場中継をいっさい放棄して、さながらハリウッド映画のハッピー・エンディングのストップショットのような、「あとは皆さん宜しく察してくださいよ」的な「ええかっこしい」の終わり方をするのは、いったいどういう風の吹きまわしなんじゃろう。

 恐らくこの作品を見せられた「ニューヨーカー」の編集者などが、「スミスさん、これは「明日に向かって撃て!」みたいなストップモーションの大写しで終わらせると洒落てまっせ」などと余計なアドバイスをして、それをうぶな彼女が素直に受け入れたからに違いない。

 されどこの小説の登場人物に内蔵されている物語の膨大なマグマは、まだ全く外部に解放発散されておらず、少なくともこの2倍の長さを持つ長編小説でなければ本当の終焉を迎えるはずがないことは、小説好きの読者ならただちにみてとることができよう。

 試みに著者に問え。「君はすべてを書き切ったのか」と。彼女は必ず「ノオ!」というだろう。

 かくて哀れ永久に未完と成り果てた本作は、断じてニューヨーカー誌のお好きないかした短編小説ではなく、ああ堂々の素晴らしき21世紀全体小説として閉じられるべき未必の運命、それにふさわしい内容と原核を保持していたのであったあああああああ。

   三千円国境なき医師団に寄付せし妻よ幸多かれ 蝶人

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現代語訳「吾妻鏡 将軍追放」を読んで [読書]

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照る日曇る日第836回

 吉川弘文館から延々と刊行され続けてきた「吾妻鏡」の現代語訳であるが、これが最終巻かと思うといささかの感慨なしとしない。

 結局は源家から権力を簒奪し、ライバルたちを皆殺しにしてその頂上にのし上がった北条一族の統治に都合のよい部分を切り張りした、いわばでっち上げの偽歴史書ではあるのだが、それでも彼らの狡猾な浅知恵をくぐって散見される真史の隠されたスケルトンを脳内で推理してみるのは面白くないこともなかった。

 北条の陰険さはこの16巻においてもいやらしく発揮されていて、文永3年(1266年)7月、彼らに盾突き始めた将軍宗尊を、実際は鎌倉から京に追放したにもかかわらず、そのような武ばった記述はどこを探しても見当たらず、あたかも彼が毎年恒例の二所詣を行ったかのように淡々と叙述している。

 多くの御家人を冷酷に殺戮したのみならず同族のライバルを周到に始末した北条時頼の恐るべきマキャベリズムを一切描くことなく、さながら聖人君子のように理想化する手口も堂に入っていて、読めば読むほど嫌になる。

 その時頼が没し時宗が後を継いだところで「吾妻鏡」が擱筆されているのは、その後の2度にわたる元寇とそれに伴う混乱が、悠長な歴史書編纂の余裕を永久に奪ってしまったからではないかと愚考するのだが、さていかがなものだろうか。

 されど些事ながら、弘長3年(1263年)9月大10日の項にある「損傷した金、切銭の使用禁止通達」や文永2年(1265年)3月5日の「大町、小町、魚町、穀町、武蔵大路下、筋替橋、大倉辻の7か所に限って商店の営業を許可する(現在の鎌倉市内のそれとほぼ共通する)通達」はじつに興味深いものがある。

 恐らく「吾妻鏡」の本当の価値は偽りに満ち満ちた政治的記述などにはなく、鎌倉時代の経済的社会的データバンクとして貴重な意義を持ち続けていくのであろう。


  ほんたうの愛を求めてプルーストジェンダーの魔境を軽々と超ゆ 蝶人

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吉川一義訳プルースト「失われた時を求めて9ソドムとゴモラⅡ」を読んで [読書]

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照る日曇る日第835回

 自分自身が同性愛者であったプルーストが描き出すシャルリュス男爵の外面マッチョで、その癖女々しい所作や性癖のあれやこれやは、まことにリアルなもので、喜劇に似て悲劇的な“おかま”の実存と本質を、それこそ自虐的に浮き彫りにしてあますところがない。

 シャルリュス男爵とは主人公の「私」であり、とりもなおさずプルーストその人でもあったし、私たちの内部に潜んで蠢く異性でもあった。

 本巻の最後で、その「私」は、いったんは別れようと決意した恋人アルベルチーヌがレズビアンであったと知って驚愕し、なんとか彼女が強力な恋敵に走るのを必死に引き留めようとするのだが、そこでヒステリックに逆上している「私」とは、もはや男であることを放棄した女プルーストなのである。

 げに「失われた時を求めて」こそは、同性愛を、異性愛と並んで、いなそれ以上の人間的な性愛と位置付け、その快楽と苦脳の栄光と悲惨を十字架に架けて称揚した、世界で最初ともいうべき小説なのであった。


        ひとつ家に四人が眠るお正月 蝶人

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林望謹訳「平家物語一」を読んで [読書]

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照る日曇る日第834回

 前著「源氏物語」の好評をうけて、いつのまにか「平家物語」の現代語訳が出ていたので一読しましたが、やはりこの人のは非常に分かりやすく読みやすい。

 本巻では巻第一から第三までを扱っているが、なんというても冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす」が源氏物語枕草子、徒然草、方丈記、芭蕉と並ぶ名文句でこれあればこそ、万巻の書物に抜きんでることができたのに違いないですな。

 おごれる平家、なかんずく頭領清盛の人もなげな横暴と、長男重盛の知的な沈着冷静とがことごとに対比され、あほばか清盛がもっと大人しくして野望を抑えていたら、あのように無惨に源氏に滅ぼされることもなかったろう、と言わんばかりの書き方であるが、さあどうであったろうかなあ。

「巻一」では早くも平家打倒を企む後白河院の意向を先取した鹿谷の陰謀が暴かれ、「巻二」では、首謀者一味の丹波少将所成経、平判官康頼入道、俊寛僧都の喜界が島流しが描かれている。

 流された彼らは、なんとか放免されて都に帰還しようと、「全島をくまなく歩いて熊野三所権現の再現を図った」と書かれているが、最近の研究現地調査でそれがその通りであったことが明らかにされたのは、この平家が単なる空想的なものがたりではなかったことを物語っているんだね。

「巻三」では重盛のとりなしで清盛は二人を赦免する。が、なぜか俊寛のみは取り残された。その俊寛を召使いの有王という少年が訪ねてきた、という叙述が本物であると信じられるのも、少年の問いかけに対して俊寛が、「この島には喰い物などないので、山に登って硫黄という物を掘り、九州から通ってくる商人に売ってこれを食い物に変えた」という証言を記録しているからにほかならない。

 平家は単なる文芸書ではなく、貴重な歴史書でもあるんであるんである。

  年の瀬に読みたき記事はただひとつ吉田秀和のお薦めCD 蝶人

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加藤典洋著「戦後入門」を読んで [読書]

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照る日曇る日第833回

 刻一刻と変遷する「戦後」像を最終的に定義しようとする著者渾身の力作である。

 これまでの著者の著述は、どちらかというと原理論の展開に論考の主力が注がれていた。輻輳する政治社会の問題点をそもそもの淵源に遡って独自の視点で鮮やかに再構成してみせる、というような書式が多かったが、今回は一味違うアップツーデートな時局対応を試みている。

 いまや「戦後」そのものをぶち壊そうとしている安倍政権の暴挙を、土俵際で巻き返すための、憲法第9条の改定を含めたアクチュアルな安全保障政策を提示し、新しい旗のもとに反独裁勢力の結集を呼び掛けているのである。

 再武装、日米同盟、軍事力重視の国家主義に反対する著者は、自らの政治的立場を、「国連中心主義による国際的平和主義」と規定し、戦後すぐに試みられた「世界唯一の軍事組織としての国連軍創設」と個別国家の核を含めた戦力放棄を、唯一無二の世界平和実現の方策として、憲法9条を持つ本邦が先陣切って推進しようと提唱している。

 具体的には憲法第9条の主文は据え置くものの、陸海軍戦力の保持と交戦権放棄をうたった2項の改定を唱えている。すなわち陸海軍戦力の一部は専守防衛の「国土防衛隊」(通常は内外の災害救助に従事)、残りは国連の平和維持活動等にのみ従事する「国連待機軍」(国連常備軍の先がけ)に投じる。つまり国の交戦権はすべて国連に移譲するのである。

 またどのような形態であろうとも非核3原則を守り、核兵器は使用せず、9条の主文に謳われた目的を達するために外国の軍隊、軍事基地・施設は許可しない、という付則も明記しようと提案している。

 いわば憲法第9条を堅持するだけではなく「左折強化」して、米国至上主義から国連第一主義に先祖がえりしつつ、世界平和、世界連邦を達成しようともくろむのであるが、その言うや良しとするも、個別国家の対立や宗教戦争の嵐にその土台そのものを根底から揺さぶられている今の国連に、果たしてそのような受け皿を設定できるのか、この提案の前途にはさまざまな困難が予測される。

   共産党昔は右翼と思いしがこの頃まともなことをいうなり 蝶人


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河出版「日本文学全集第11巻」を読んで [読書]

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照る日曇る日第832回


 井原西鶴の「好色一代男」を島田雅彦、上田秋成の「雨月物語」を円城塔、山東京伝の「通言総籬」をいとうせいこう、為永春水の「春色梅児誉美」を島本理生がそれぞれ現代語に翻訳しているが、いずれも甲乙つけがたい名作の名翻訳である。

 私はこれらの作品をかつて原文で読もうとして挫折した日本語の劣等生なので、若い現代作家がよくもあの難解なテキストにくらいつき、かくも精緻にして大胆、新鮮な日本語にリメークしたものよ、と感嘆のほかはない。

 それにしても江戸時代の文学の水準の高さよ! これらの「浮世草子」、「読本」「洒落本」「人情本」が描き出す人間ドラマの面白さと深さは現代の小説のそれと比べてもいささかの遜色がないどころか、もっともっと高度なレベルでそれに先行し、それを先取りしていたのである!

 
  書を捨てて街へ出よと妻は説く寺山修司を知ってか知らずか 蝶人

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中公偽決定版「谷崎潤一郎全集第11巻」を読んで [読書]

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照る日曇る日第831回

 大正14年に新潮社から出版された「神と人との間」と、同年に改造社から刊行された「痴人の愛」などを収めている。

 前者は、谷崎を思わせる「悪魔主義」の作家と元医師の主人公が、美女を巡って猛烈な争奪戦を展開し、作家を毒殺して念願のマドンナを射とめたものの、良心の呵責に耐えかねて自殺して果てるという話であるが、全体として強引に作りものを作っている不自然さが漂っていて、芳しい出来栄えとは言いかねる。

 これに対して後者は、文字通りの傑作である。谷崎自身は「私小説」と称しているそうだが、おそらく主人公が妻千代の妹をモデルにした実体験を基に小説に仕立てたものだろう。

 肉体美を誇る自由奔放な若い美女に身も心も惚れぬき、すべてを捧げてひれ伏すという女人礼賛耽美の自虐小説であるが、魅惑の対象への没入と、それを舌なめずりしながら描写する快楽とが一体となって、猛烈な熱気と愛欲のエネルギーの放射が、読む者を圧倒せずにはおかない。

 はじめは「こんな女に夢中になって入れ上げるなんて莫迦莫迦しい」と冷笑していた読者も、いつの間にか男を夢中にさせる悪魔のような女の魅力にとりつかれ、主人公ともどもその足元にひれ伏したい、という被虐の洗礼を浴びずにはいられないだろう。谷崎、恐るべし!


外出の時は新しい肌着を身につけるいつどこで何があるか分からないので 蝶人

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河出版日本文学全集「石牟礼道子」を読んで [読書]

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照る日曇る日第830回


「苦界浄土」3部作には驚嘆させられたが、ここに収録されている「椿の海の記」、「水はみどろの宮」「西南役伝説抄」にはもっと驚かされた。

石牟礼道子という人はチッソと戦う不屈の闘士どころか、山川草木悉皆成仏、生まれながらの天然居士、此の世の埒外からやって来た異星人だった。

といわれてもなにがなんだかわからないでしょうが、著者の天来の資質と思想が凝縮された新作能「不知火」を読んでみれば、目からこぼれたうろこのように体得できるに違いない。

このような桁外れの作家がまだ崩壊寸前の本邦にまだ生きながらえてあることは、ある意味で奇跡ではないだろうか。


 マカ不思議有名人物の名さえついてればただの紙切れが札束に化ける 蝶人

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中央公論新社の「決定版谷崎潤一郎全集」について [読書]

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照る日曇る日第829回

 げんざい中央公論新社の創業130周年記念事業として同社から刊行されている文豪谷崎潤一郎の最新版全集を毎号楽しみにしている今日この頃ですが、前からちょっと気になっていることをレポートしておきたいと思います。

 谷崎の全集は1930年の改造社版以降何度も刊行されており、今年から出はじめた今回の全26冊シリーズが「決定版」と銘打たれているのですが、知れば知るほどいったいどこが「決定版」なのかあきれてものがいえません。

 その理由の第一は、谷崎の代表作である「源氏物語」の邦訳が欠落していることです。それは別枠で同じ中公から出ているから買いなさいということかもしれませんが、「源氏物語」のない谷崎全集なんて、五郎丸の抜けたジャパンラグビー、小西得郎の解説のない野球中継、権藤監督のいない大洋ホエールズ、淀川長治のいない日曜洋画劇場、吉田秀和の音楽評のない朝日新聞、尾崎紅葉の連載がない読売新聞(以下略)、のようなものではないでしょうか。

 さらにこの「決定版」では「源氏物語」と並ぶ谷崎選手の傑作「細雪」が2冊にまたがって分載されています。これは叢書の書式を簡便軽量にしたかったからでしょうが、その了見が間違っています。

 かつてソニーとフィリップスがCDの規格を決めたとき、1枚のCDに搭載する容量をカラヤン指揮ベルリンフィルのベートーヴェンの交響曲第9番が収録できるように設定したのは有名な話ですが、本全集の編集担当者がまず考慮すべきであったのは、この主著「細雪」を全1冊に収容できる書式をまず決定することであったはずです。

 ちなみに小生が愛蔵している昭和41年版の全集には、「源氏物語」も4巻を費やして入っているし、「細雪」も第15巻にきちんと収めています。最新版には旧全集に漏れた新原稿もちらほら入っているようですが、それはチュウチュウネズミのようなもの。「決定版全集」は、ネズミがいてもライオンとゾウのいない動物園のようなもの、岡井隆と奥村晃作のいない歌壇、鈴木志郎康のいない詩檀、富士山のない大和です。

 重厚長大を嫌う読者の利便を考慮するのは結構ですが、いやしくも「決定版」と銘打つ以上は、死せる谷崎と大編集者滝田樗陰、嶋中元社主がみても満足のいく書式と体裁でなければなりますまい。

 最後に問題があるのは全集につきものの解説、解題、月報のたぐいです。私蔵旧全集の月報は毎回10数ページもあって、その中の有名作家によるエッセイや回想録、評論家による充実した作品解説は、各巻の内容に匹敵するくらい読み応えがあります。

 ところが「決定版」についているのはそっけない「解題」とたった4ページの「月報」のみ。さすがに月報では当代の有名作家が筆をとっていますが、あまりにもスペースが短すぎるのでどれもこれも通り一遍の走り書きの感想文にすぎず、彼らだってこんな駄文が後世に残されたら恥ずかしいのではないでしょうか。

 編集委員の千葉俊二、明里千草、細江光という方々がどのような立派な研究者・権威ある編集者なのかはいっこうに存じ上げませんが、たとえば現在河出書房新社から刊行中の「日本文学全集」の解説や新潮社の 「新装版・新潮日本古典集成」、インスクリプト社の「中上健次集」の月報、解説の比類ない充実ぶりをこの際じっくりと検分していただきたいものです。

 それとも右翼進駐軍で文藝音痴の読売新聞社がにらみをきかせているので、旧中央公論社のスタッフにはそのような自由が許されていないのかしらん。


  日曜の魔法使いの妻がつくる林檎ケーキほど美味きものなし 蝶人

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三谷幸喜選手をどう評価するか? [読書]

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闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.945&946


初期の映画はみな面白かったが、だんだん化けの皮がはがれてきたような気もする。
しかし才能はある人なので、来年の五郎丸、じゃなかった真田丸に期待してるずら。


○三谷幸喜監督の「THE有頂天ホテル」をみて

いわゆるグランドホテル・スタイルの喜劇ずら。三谷は数多くの登場人物をうまくアレンジして盛りだくさんな大晦日どんちゃん騒ぎを盛り上げ映画的感興をもたらしている。YOUはミスキャストずら。


○三谷幸喜監督の「ステキな金縛り」をみて

この監督は近頃手抜きがひどくてつまらなかったが、これは面白かった。落武者の幽霊(西田敏行)が裁判の証人をつとめるという設定がうまく行った。されどラストの泣かせはしつこすぎるずら。


  お相撲はモンゴルに譲り韓国には野球ゴルフを勝たせてあげよう  蝶人

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